『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
ー ポール・ゴーギャン
子供の頃の記憶は何歳くらいからあるものなのだろうか?私は4歳からの記憶がある。しかもはっきりと覚えているエピソードがある。
私が4歳の時、母は働いていた。市内にあった小さな洗剤の卸問屋に勤めていた。母は私を保育所に入れようとしたが、順番待ちで入れなかった。当時は第二次ベビーブームで子供の数も多かったので、保育所の数も全然足りていなかった。やむなく母は私を職場まで連れて働いていた。自宅から自転車で15分くらいだったろうか。母は私を自転車の後ろに乗っけて、仕事場まで毎日通っていた。田舎だったので、途中で林の中を通り抜けていった。夏になると葉が生い茂りトンネルの中を走っているようだった。一度だけ前から黒い大きな物体が母と私の頭上をかすめて飛んで行った。オスのカブトムシだった。オスのカブトムシが飛ぶ姿を見たことがあるだろうか。一言でいって壮観である。母と「すごいね」と感想をもらしあった。タイムボカンというアニメでカブトムシの恰好をしたタイムマシーンが出て来るが、あんなものではない。(笑) 本当にかっこよかった。洗剤屋の事務所には洗剤の倉庫が併設されていた。事務所や倉庫の周りにも木が生い茂っていて、今思うとなんでそんな辺鄙な場所に事務所があったのか分からないが、その事務所の周りで私は遊んでいた。夏の雨上がりのある日、私は水たまりの中を事務所の庭にあったリアカーを引いて遊んでいた。母が事務所から出てきて「こっちへおいで」と言った。濡れた雑草の葉の上に小さなアマガエルがいた。私はアマガエルを見るのが初めてだった。「触ってごらん」と母は言ったが、4歳の私は小さな可愛らしいアマガエルを少しだけしか触ることができなかった。
これが今でもはっきりと覚えている4歳の時の記憶だ。ここから先は保育所での記憶になる。何とか保育所に入ることができたからだ。
ひとり静かに遊んだ静寂感と鬱蒼とした林の残像が私の記憶の中に残った。