2017年3月11日(土)15:00 NACK5スタジアム大宮
大宮アルディージャ対ジュビロ磐田
試合結果 大宮1-2磐田(得点者 大宮 清水慎太郎:磐田 中村俊輔/川又堅碁)
本日も晴天。気候、芝生のコンディションともに最高。開幕から2連敗。大宮は攻撃陣の先発メンバーを開幕戦に対してネイツ ペチュニク、マテウス、横谷繁に代えてスタート。
開始5分、いきなりMF中村俊輔に目の覚めるようなフリーキックを決められる。昔取った杵柄だ。
磐田はFW川又堅碁のワントップで3‐6‐1の布陣。前半早々で1点リードの展開なので、磐田は引いて守って余裕のあるゲーム展開。中盤で大宮のMF大山啓補、MF茨田陽生にボールが入ると、狙いすましたように磐田のMF陣がゾーンプレスを掛けられ、ロストボールすることが前半だけで数度。これがトラウマになり後半まで影響が出た。
大宮は第1節の川崎戦同様、サイドでボールキープするものの、オフェンダーが仕掛けてサイドを突破するわけでも、3‐6‐1でピッチ上で横長に広がった磐田の中盤のスペースを有効に使って中央突破または中央からサイドへの展開をするわけでもなく、バックパスを繰り返す。“キープしている状態”を継続し、磐田の思うつぼになる。試合後の感想戦で知ったのだけれど、上記の中盤のゾーンプレスは磐田の名波監督の戦術通りだったとか。前半は右サイドでオーバーラップした大宮のDF奥井諒からセンターリングする展開が数度あって、今日の試合の突破口を示唆するプレイだったけど、単発的で攻撃の流れを作り出すには至らない。
ここが重要なんだけど、大宮はMF大山、MF茨田が他のMFやDF(とくにサイドバック)へのフォローのタイミングやポジショニングが悪い。先述した通り、試合開始からふたりを狙い撃ちするゾーンプレスからのロストボールで、すっかり恐怖心を植え付けられ、終始、MF大山とMF茨田の動きが硬く、ゲームの“流れ”を作ることができない。
守備的MF(この試合では大山、茨田)にとってロストボールは失点に直結する致命的なミスになることがあるので怖いのはわかるけど、いいじゃないですか、ロストボールしても。後ろにはDFとGKがいます。DF菊地光将とDF河本裕之がいます。GK加藤順大がいます。最後にDFやGKが止めてくれることを信じましょうよ。磐田のMF陣が名波の戦術通りプレスをかけてきても、泰然とボールを受けてほしかった。ダイレクトパスやドリブルでプレスを突破できれば、最大のチャンスになるし、サイドへの攻撃的な展開も期待できる。しかし、リスクを避けてライン際にボールを逃がしているだけでは、磐田に試合の主導権を渡しているのも同然だ。
また、試合開始早々、磐田MFアダイウトンに対して、大宮右SB奥井が挨拶代わりのタックルをお見舞いしていたけど、左サイドで磐田のMF中村俊輔がキープした時に、“挨拶”をしにいった大宮の選手は誰もいなかった。自分の受け持ちフィールドに相手選手が入ってきたら、あるいは相手チームのキープレイヤーに「今日はあなたにはやらせませんよ」という姿勢を示してほしいものです。それがサッカーを“リスペクト”するとういことではないでしょうか。ホームゲームはアウェイのクラブチームを活躍させる場ではないのですから。ただ、誤解しないでほしいのですが、ラフプレーを推奨しているわけではありません。リスペクトは何も相手にするものだけとは限りません。自分自身やサポーターへのリスペクトでもあるのではないでしょうか。前半5分でのMF中村のフリーキックによる失点が悔やまれます。
後半の2分には、磐田DFがいい加減に蹴り上げたクリアボールから、失点した。大宮DF河本の中途半端なクリアボールに対し体を当てて競ってきた磐田FW川又にシュートを打たれ、DF河本がシュートコースを防ごうとして焦ってスライディングした方向と逆にボールがこぼれ、GKと一対一の局面を作られたうえでの失点だった。
今シーズン中村俊輔は横浜マリノス、川又堅碁は名古屋フランパスからそれぞれ移籍後初ゴールということだった。移籍した価値を示すゴールになった。MF中村のフリーキックは、壁を越え、なおかつ低く早い弾道で、ファーポスト(フリーキックの位置から遠い方のゴールポスト)の低い位置に決まった。ニアポスト(フリーキックの位置から近い方のゴールポスト)へのリスクを拭えない以上、大宮GK加藤も躊躇したかもしれない。仕方のないゴールだった。磐田MF中村の技術が素晴らしい。
磐田FW川又のゴールも泥臭く素晴らしいゴールだった。FW川又は厳しいコンタクトプレイ(体を接触させること)を厭わない。傷だらけになるタイプのプレイヤーだと思う。磐田のゴールキックのターゲットは川又一本で、不利なボールでもヘディングは50%くらいの割合で大宮のDFに競り勝っていたような気がする。この試合でのゴールも、浮き球への競り合いで大宮DF河本に体を当てにいっただけでなく、小細工せずシュートを打ったことがポイントです。シュートを打たず体制を整えようとしたら、大宮DF菊池のフォローが間に合っていたかもしれない。“シュートを打った”からこそ、DF河本が体を投げ出してシュートコースを消そうとした結果、ボールがこぼれ、GKとの一対一の局面を作ることができたのだ。
一方、大宮は前半、走っているFWネイツにパスを出さない。相手DFがマンマークしているので、FWが不利なのはわかっているけど、散々走ったあげく、パスは出てこない、やっと出てきたと思ったらパスは不正確、ではFWは嫌になってしまう。多少無理でもFWにボールを出してほしい。相手DFが自信満々でカットしにくるでしょうが、そこにミスが生まれるのがフットボールだ。現に磐田FW川又はゴールしたじゃないですか。そもそもDFは自信満々なのでしょうか?少しでもミスがあると消極的になるのがDFの心理だ。
FWがボールをもらったら、ゴールをするのはFWの仕事だ。それでゴールできなかったら、交代させられるのがFWの宿命だ。サイドでキープして、バックパスでは相手は何も怖くない。左サイドはドリブルもなかった。
大宮FW江坂任は一昨年シーズンまで在籍していたザスパクサツ群馬では縦に早い攻撃から点を獲っていたと聞いたことがある。FW江坂も走ってもパスが出てこないので、開いてしまう。センターFWがゴールから遠いポジショニングをとることに違和感を禁じえない。FWが開くのは、リードしている展開で時間を稼ぐ時や、疲れを取って体力を温存する時などでは?名古屋グランパスのストイコビッチ*が現役時代によくそうしていたのを覚えていて、うまいなあ、と思ったものだ。(ウィング的なFWは別ですが)
圧巻は磐田MF中村が後半80分台に見せた、ボールキープ。中盤の底でボールを受けた中村に、ネイツが猛プレスで体を当てにいったけど、MF中村に体をかわされ、連続してプレスをかけにいったFW江坂も軽くかわして、逆サイドにパスを出したシーンがあった。MF中村の一連の動作は流れるようで、年齢を感じさせないものだった。中村俊輔は今季38歳。若い頃のようにペナルティーエリア付近での決定的な仕事はできなくなっていることは否めないけど、運動量は豊富で、ロングフィードは相変わらず正確。中盤の後方にさがったプレイでは、ボールキープ力があり、パスを受けやすい体制の選手を見極め、的確にパスをするセンス・技術があり、味方を落ち着かせる動きを冷静に行っている姿が印象的だった。
磐田のキープレイヤーであるMF中村の先制点とFW川又の追加点。名波監督の戦術による磐田MFのプレスからの中盤でのロストボール。これらの要素は大宮の選手を委縮させ、全体的に動きの硬さが最後まで取れなかったような気がする。FWから本来の動きを止め、中盤やサイドでのボール展開を停滞させられた結果、 “流れ”を変えられないまま試合が終わってしまった。唯一“流れ”が変わりそうだった時間帯は大宮MF横谷繁を中盤の底にシフトした時だった。MF横谷には常に縦への攻撃を意識する力がある。
相手スローインを“したたか”なMF横谷がカットして、なおかつ相手陣内深くまでドリブルでえぐったことで、相手DF、GKは“ボールウォッチャー”になった。その結果、生まれたゴールだった。大宮MF清水慎太郎のオーバーラップと打点の高いヘディングも見事だった。しかし遅きに失した。相手チームには自チームを勝たせるために最後まで運動量の衰えない中村俊輔がいた。
まだシーズンは始まったばかり。負けたっていいじゃないですか。FWを信じて、走っているFWにボールを出してほしい。DFとGKを信じてロストボールを恐れず、中盤も積極的にボールを受けて縦パスを狙ったり、それがダメなら、サイドに展開して相手をいなしたり、自身がポジションを離れてスペースに走り込んでほしい。選手が自分たちの良さを出して、活き活きとプレイするところが見たいのだ。ホームゲームなんだから、相手チームにはこちらの良さを消そうとすることだけに躍起にさせませんか?
心理カウンセラーの心屋仁之助さんの新刊本にこんな記述があります。
「持てる力を100%、120%出そうとすると、100%の結果に近いものが出る。
持てる力を40%ぐらいで遊ぶように動くと、想定の300%以上の結果が出る。
自分の力を過信せず、
自分の魅力を過少評価せず、
まわりの力も過小評価しない。
すると流れに乗る。」
少年の頃、草サッカーで失点なんて気にならなかったでしょ。点を獲ることだけに夢中になってたでしょ。負けるのが嫌で一番うまい奴を止めてやろうと思ってたでしょ。プロはそうはいかない、なんて言わないで。
プロがそれをやったら、プレイヤーも見てる人も最高にいい気分になると思いますよ。
*ストイコビッチ・・・ドラガン・ストイコビッチ。セルビア(旧ユーゴスラビア)出身。1990年FIFAワールドカップ(イタリア大会)では、イビチャ・オシム監督指揮のもとチームをベスト8へ導き、自身も大会ベストイレブンに選出される。1994年から2001年まで名古屋グランパスエイトに所属し、2度の天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。・・・・・とにかく“うまい”プレイヤーでした(著者)