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ブラタモリ『#77 大宮』大宮がいかにして鉄道の街になったかが分かる

投稿日:2017年7月3日 更新日:

今日はブログ番外編で、鉄道の街「大宮」にまつわる私の思い出を語ってみようと思う。

NHKで7月1日放送された『ブラタモリ』「大宮」が特集された。テーマは「なぜ大宮が鉄道の街に発展したか?」というものだった。番組ではテーマにそって「氷川神社」「大宮公園」「JRの大宮工場」などが紹介されたほか、氷川参道の入り口や駅近くの中山道など、日頃から私に馴染みのある場所が映し出され、大宮アルディージャホームスタジアム「NACK5スタジアム大宮」も登場した。なぜ大宮が鉄道の街に発展したかについては、番組を見ていない人は再放送かデマンド視聴などで見てもらいたい。「なるほどー」と思いますよ。

さて、私は幼い頃、電車の運転手になりたいと思っていた。大人になると、そんなことは微塵も思わなくなって、なぜ自分が電車の運転手になりたかったのかさえ思い出せなかったが、この番組を見て「大宮」から強い影響を受けていたことがわかった。

当時私が使っていた路線は高崎線で、必ず大宮駅を経由して電車を利用していた。今では見られなくなったが、当時の高崎線の車両は緑色と茶色のツートンで塗装されていて、大きな丸目型のヘッドライトが特徴だった。私はその車両の色合いから、子供心に高崎線を「かぼちゃ」みたいだと思っていた。電車の正面は子供の私には「顔」に見えた。高崎線の顔、山手線の顔、京浜東北線の顔という具合に。私は高崎線の”面構え”が好きだった。

高崎線の車内のシートはベンチ式の車両が導入される前は、すべて4人掛けのボックス席だった。3ドアではなく、2ドアの車両もあった。(車両の前と後ろ2か所にしかドアがない車両のこと) 当時は車内で喫煙できたのでボックス席の窓の下にスチール製の薄い箱型の灰皿も備え付けられていた。(今では信じられないでしょう!) 灰皿の上部には回転式の蓋がついていて、くるっと回すと吸い殻や灰が落ちる仕組みになっていた。

通勤時間帯でない昼間の時間帯や日曜日に高崎線に乗ると、大宮駅での停車時間を長く取ることがあって(東北線や貨物列車との待合かな?)、お弁当屋さんがホームから窓越しに弁当やお茶を売ることもあった。お茶は、熱い緑茶を比較的柔らかいビニール製の容器で売っていた。容器には間口が広い蓋がついていて、その蓋にお茶を注いで飲んだ。ふにゃふにゃしたビニール製の容器の感触を今でも思い出すことができる。

高崎線の上りに乗ると、大宮駅の手前でトンネルに入る。このトンネルは高崎線と東北線が分岐するためのアンダーパスで、トンネルから出ると、分岐する東北線のレールや操車場(大宮駅には電車の工場もあり線路がたくさんある)からのレールなどがあるために、たくさんのポイントの上を電車が走るのが好きで、必ずドアの窓からレールがある下の方をのぞき込んで、レールが分かれたり、くっついたりする様子を見たことを覚えている。こんなにたくさん分岐したレールの上を電車の運転手になって走ってみたいと思ったのだろう。(笑) また高崎線はコクピット(運転席)がある車両が連結車両として使われていて、無人の運転席を眺めることができた。スピードメーターはアナログで針だった。電車のスピードが上がると連結車両のスピードメーターも連動して同時に上がっていった。高崎線は駅間が長くスピードが出るので、そのスピード感も好きだった。確か時速80km以上は出ていたと思う。

小学校の中学年くらいの時だろうか。クラスで鉄道模型が流行ったことがあった。鉄道好きのクラスメイトがいて、彼らが始めたのがきっかけだった。いわゆるNゲージというやつだ。「トミックス」と「カトー」というメーカーがあって、我々のクラスは「トミックス」派だった。友達同士で自分の持っている電車の車両やレールのパーツを持ち寄って、車両やレールの長い連結や複合を楽しむのだ。私のクラスには鉄道に関する強者(つわもの)が二人いて、F田君とS木君といった。鉄道に関してはこの二人がクラスをリードした。二人とも一番大きなサイズの国鉄(現JR)の時刻表を持っていて、熱心に読み込んでいた。高崎線の駅名を上野駅から高崎駅まで諳(そら)んじることなど朝飯前で、山手線一周の駅名をどちらが早く言えるか競い合っていた。鉄道模型ではF田君はブルートレインの王道の機関車「EF65」を持っていた。S木君は、F田君が「EF65」を持っていたからかもしれないが、機関車「EF80」を持っていた。S木君の「EF80」は少しくすんだ感じの渋い赤色でかっこよかった。遅れて鉄道模型をやり始めた私は二人の持っている車両を買うのは二番煎じで嫌だったので機関車「ED75」を選択した。S木君が持っている「EF80」より少し明るめの赤色で、とても気に入っていた。当時国鉄は「いい旅チャレンジ20,000km」というキャンペーンをやっていたし、鉄道=旅というイメージもあって、クラスでは圧倒的にブルートレインが人気があった。私は鉄道模型をやるクラスメートのほとんどがブルートレインの客車を持っていたので、本当は欲しかったのだが、あえて普通の客車を買ったのを覚えている。

F田君とS木君は、休日に朝早く起きて大宮駅に電車の写真なども撮りにいっていたようだ。大宮駅は新幹線が開通する前までは、東北、上越、北陸などのターミナル駅として寝台特急を含む様々な特急が停車する駅だった。私は写真を撮りに行くようなことはしなかったが、秋葉原の鉄道博物館は好きだった。秋葉原の鉄道博物館には精巧なジオラマのNゲージ(鉄道模型)があって、鉄道模型をやる少年の羨望の対象だった。私は車両の本物のドアを開け閉めできるコーナーが好きだった。円柱状の鉄製の棒を上げ下げするとプシューとドアが開いたり閉まったりして本当に楽しかった。

現在、鉄道博物館は大宮にある。先日も息子を連れて行ったばかりだ。息子は電車よりも信号機が好きで、本物の信号機を手で操作するのだが、信号機のコーナーが無くなってしまっていた。(泣) Nゲージは改装中で夏休みには再開するようだ。私が持っていた「ED75」は今なんと本物が大宮の鉄道博物館に展示してある。

『ブラタモリ』がきっかけで、大宮の鉄道の歴史を知ることができた。そして忘れていた懐かしい「思い出」を思い出すことができた。

大人になってから、風の便りで伝え聞いたところによると、F田君はJRの職員になったそうです。

上記写真ともに6月11日に大宮の鉄道博物館で撮った写真

追記 東武鉄道ではこの夏、「SL大樹」が運転を開始するそうです!

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