【株主とファンが「いい夫婦」になると「美」と「感動」が訪れる】
株主のクラブへのコミットメント(しっかりと係り合うこと)の希薄さは株主とクラブ間だけの関係に思われがちだが、その遠因は前回のブログで述べたように実は株主とファンの間の見えない溝にあると思っている。
以前、株主を父親、ファンを母親、クラブを子供に例えたことがあった。
株主の事業は投資、財政といった論理的な原理で成り立っている。
男性的な性質を持っていると言えるだろう。
またファンは選手や地元への愛情で成り立っている。無条件のクラブ愛もあるかもしれない。
感情や情緒が豊かで女性的な面があると言える。
クラブが成長するにはどちらの要素も必要なのではないだろうか。
『この声をきみに』(NHK 2017年9月~11月放送)というテレビドラマの中には、夫婦間がうまくいかず離婚してしまう数学者が出てくる。夫である数学者は数学にかまけて家庭を顧みない性格だったために、奥さんとの間に溝ができて最後には離婚してしまう。自分の不幸な人生を呪いながら生きている数学者はある日偶然出会った女性が本を朗読する声に魅了される。森羅万象を現わす言葉の魅力を知った数学者は徐々に人生の喜びを見出していく。
物語の最後に数学者は学生たちを勇気づける。
「新入生に大先輩の言葉を送りたい。『数学や文学や芸術で最も大切なのは「美」と「感動」だと思う。これらは金儲けに役立たないし病気を治すのにも平和を達成するのにも犯罪を少なくするのにもほとんど役立たない。しかし生まれてきてよかったと感じさせるものは「美」や「感動」において他にはないのだ』君たちはこれからものの形やつながり方について徹底的に考えることもあれば目に見えない高次元や虚数の世界を時に虚しく感じてしまうかもしれない。だがどの探究も究極には人の喜びのためにある」
数学者は以前論理的で男性的な思考しか持ち合わせていなかった。女性的な情緒をもつ奥さんの気持ちが分からなかったのだ。数学者は言葉を通じて情緒を理解し奥さんの心にコミットメント(しっかりと係り合うこと)した時、学生を勇気づけるような立派な言葉を言えるようになるまでに成長を果たしたのだ。
サッカーは数学や文学や芸術と同じようにこの世になくても困らない。
しかしサッカーには数学や文学や芸術と同様に「美」や「感動」を見出すことができる。
それは人生に喜びをもたらすものとして存在しているのだ。
生まれてきてよかったと思わせてくれるのだ。
それは男性的な理性と女性的な情緒が交わる時に最も輝きを放つものなのではないだろうか。
サッカーで例えるなら、父親である株主と母親であるファンが相思相愛になってはじめて子供であるクラブチームが輝きを放つようなものだ。
そうしてできたクラブチームは理性を持った的確な経営と、愛情によってどんな困難にも立ち向かっていける粘り強い精神をもったすばらしい子供へと成長していくのではないだろうか。
では具体的にどうしたらよいかということになるが、私はそんなに難しく考えなくていいと思っている。
まずは力のある株主のほうからファンに歩み寄ることだ。
株主が直接ファンに歩み寄ることはできないと思うから、もちろんクラブを通してでいいと思う。
まずしっかりとした経営者をクラブに据えることだ。
事業の要諦がわかっている人とサッカーを理解する人をアサイン(割り当て)することが必要だと思う。
もちろん両方を兼ね備えている人なら言うことは無い。
そしてゆっくりとファンに語りかければいい。
語りかける内容は簡単だ。
経営者として事業の要諦を諄々(じゅんじゅん)と語ればいいのだ。
そしてフットボールとクラブへの愛を今度は滔々(とうとう)と語ればいい。
フットボールを「美」や「感動」をつかさどる文化と位置づけ
それを大宮アルディージャのファンと共有できることがどんなにすばらしいか表現すればいい。
難しいことは何もないはずだ。
時には経営とファンの思いが重ならないことがあるかもしれない。
その時は正直にそのことを言えばいい。
ファンに媚びることはないのだ。
でも何とかしてファンの思いを実現させたいと思っていることを伝えればいい。
ファンもきっとわかってくれるはずだ。
そしてファンと共有した夢を実現可能なことからクラブで実行すればいい。
責任を取らせて更迭するのではなく信頼しサポートする風土を作ってほしいのだ。
私は元日本代表で浦和レッズの鈴木啓太選手の引退試合で浦和レッズ元社長、犬飼基昭さんの鈴木啓太選手への愛情をたっぷりと込めたスピーチが忘れられない。そこには選手への愛情とともにクラブやフットボールへの敬意を感じることができた。すぐれた経営と愛情はクラブを育てていく。
大宮アルディージャにもいつかクラブに愛されファンに愛されフットボールからも愛される選手や指導者が登場することを願っている。