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将棋 最年少プロ棋士 藤井聡太四段(14)

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将棋界に最年少(14歳2か月)でプロになった少年が現れました。藤井聡太さんです。藤井聡太さんは昨年12月のデビュー戦で現役最高齢の加藤一二三(かとうひふみ)九段(77)を破って以来勝ち続け、5月1日の竜王戦でも勝利し、連勝を15に伸ばしています。中学生でプロ棋士になったのは過去4人しかいないそうです。そのうちの一人が現役最高齢の加藤一二三九段でそれまでの最年少記録(14歳7か月)保持者だったそうです。最年少記録は62年間破られず、かつ現役最高齢の加藤一二三さん(77)もすごい棋士だと思いますので、最年少対最高齢の対局は劇的なデビュー戦と言えそうです。羽生善治三冠(46)ですらプロになったのは15歳2か月だったそうです。非公式戦*では羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)にも勝利しています。この若い少年の登場は喜ばしいことだと思います。勝負の世界は厳しいですから、先輩棋士に瞬く間に研究され逆境に立たされることがあるかもしれません。また故・米長邦雄永世棋聖は「運を育てる」という本の中で「順境に耐えることのむずかしさ」という意味深長な言葉を残しています。米長さんは人生の極意として「運・鈍・根」の必要を説きます。その中でも「鈍」つまり「馬鹿になる」ことの難しさを説きます。この先藤井さんの注目度は増していきます。ちやほやする輩もいるでしょうし、厳しく批判されることもあるかもしれません。「鈍く生きて」羽生善治さんや加藤一二三さんのように末永く活躍して将棋ファンだけでなく、私のような素人も楽しませてくれることを期待しています。

藤井さんはマンガやテレビはほとんど見ないそうです。インターネットで気象庁の情報を見るのが好きで、放課後も友達と遊んだりすることなく将棋をさしていたそうです。藤井さんに将棋を教えたのはおばあちゃんで、藤井さんが5歳の時。おばあちゃんが通わせた将棋の教室では負けると将棋盤を抱えて泣くほど悔しがったそうです。教室の先生いわく、藤井さんが将棋の駒を触っている姿がとても楽しそうに見えたそうです。目についた詰め将棋はすべてその日のうちに解いてしまうほどで、12歳で詰め将棋の全国大会で優勝しています。六一一手の詰め将棋を解いたこともあったそうです。

米長さんがこんなことを言っています。「私の勉強方法のひとつに、宋看(そうかん)と看寿(かんじゅ)の詰め将棋『将棋無双(むそう)』と『将棋図巧(ずこう)』を全部解く、ということがあった。ともかく、高校生がこの詰め将棋を、詰むまで一心不乱に考え、解くのである。いちばん時間がかかったのは、やはり六一一手詰め(『図巧』の第百番)であって、これには一週間くらいかかったが、最も感動的だったのは、看寿『図巧』の第一番、六九手詰めである。 ―略― 将棋仲間にときどき、この詰め将棋を詰ましたかどうか尋ねてみることがある。だいたい、この詰め将棋を全局解いたか、解こうとしたか、見向きもしなかったか、これでその人の位置が決まるように思う」(『ふたたび運を育てる』P.86) もし藤井さんが解いた詰将棋が米長さんのいう『図巧』の第百番だとすれば、米長さんが高校生で解いたものを藤井さんは中学生で解いてしまったことになる。このことからも藤井さんがどれだけすごいかわかる。

また米長さんは「天才と言われているうちはダメ」だとも言う。「私は高校生の頃、二〇〇手以上の詰め将棋を解くことができた。高校生にして、タイトルをいくつも獲得した頃と同じくらいの棋力があった。しかし、それは私の人格とは無関係である」(同P.108) 当時スランプから立ち直り名人に復位した谷川浩司*さんが人間として成熟したことを実感した米長さんから出た言葉である。谷川浩司さんも14歳でプロ入りした棋士である。将棋の才能と人格の形成は別であることを示す貴重な証言だと思います。藤井さんには立派な諸先輩方がいます。その方々の後に続き末永く活躍されることを期待しています。

*非公式戦 AbemaTV「藤井聡太四段 炎の七番勝負」

谷川浩司 将棋棋士。永世名人。タイトル獲得数歴代4位。日本将棋連盟会長を2017年1月に辞任。

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