渡部昇一先生が亡くなって3日たちました。少し心も落ち着いてきたので、追悼をこめて先生の書籍を紹介したいと思います。
『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』海竜社(2012年3月31日初版)
これは先生が「人間が本当の心の安らぎを得るにはどうしたらよいのか」というテーマで書かれた本です。哲学の一種と考えてよいでしょう。2012年の出版ですから、先生が傘寿を迎えられた後、81歳の時に書かれた本ということになりますので、先生の哲学の集大成といってもいいかもしれません。
霊魂や神様(信仰)や死後の世界といった、精神の世界を信じるか、信じないかで、喜びの人生を送るか、そうでないかを説いた本です。先生は「魂はある」「死後の世界は存在する」「信仰は弱い人間の心の支えになる」という答えを導き出しています。
先生がこの答えを導き出すきっかけになったのはパスカルの『パンセ』(瞑想録)だそうです。パスカルは物理学や数学のような科学的な思考を「幾何学的精神」と呼んだそうです。分析的、客観的な、学問に向く思考形態のことです。これだけを説いたなら、パスカルは並みの自然科学者、数学者に過ぎなかったろうと先生は言います。パスカルが偉大なのは、人間には「幾何学的精神」のほかに、「繊細なる精神」もあるということを指摘した点にあると言います。「繊細なる精神」とは自然科学に用いるのとは別の精神で、芸術を感じる心や、魂の世界を感じる心や、神の存在を認識し得る精神、死後の世界をとらえることのできる精神など、複雑な事象を、論証に頼らず、直観的・全体的に把握する、柔軟に富む認識能力のことです(P .56~57)。そしてパスカルは人間には自然科学的に証明のできない霊魂の不滅、神の存在、死後の世界を信じるか、信じないかという、どちらも出来る選択肢があり、信じるほうに賭けても信じないほうに賭けても、生きている間はリスクも失敗もないのに、どうして信じるほうに賭けないのか、と言うのです。信じずに、精神的な充足感のない平凡な人生をおくるか、信じることによって、精神的に、より喜びや満足の得られる生活を送るのか、どちらに賭けるのか、という賭け*なのです(P.47)。先生は『パンセ』の「賭けの精神の必要性」を読んだ時に「目の前にあった暗闇が、明るい日差しに、パッと吹き払われたように感じた」そうです(P.43)。信じるほうに賭けたのですね。
もちろん先生が信じるにいたったプロセスは様々な要素があったようです。例えば、先生は若い頃ドイツ留学中にお母さんを亡くしています。先生はドイツでお母さんの死を知った時、お母さんの魂が近くなったと感じたそうです。遠いドイツの地だからこそ、魂の接近を意識したそうです。そしてその時「ああ、人間には、肉体を超えた何者かがある」と感じたそうです(P.35)。こういった経験も魂の存在を受け入れる素地になったようです。先生が影響を受けた書物としては、実践的生活においてはヒルティの『幸福論』、キリスト教では岩下壮一神父の『カトリック信仰』とパスカルの『パンセ』、肉体と霊魂の問題ではアレクシス・カレルの『人間 この未知なるもの』などを挙げています(P.6)。少し話しがそれますが、先生は旧制中学校の学校教育には宗教的なことなど入り込む余地などなかったと言っています。旧制中学校は教科全体が啓蒙思想的、近代科学的で唯物論的精神による教育で、神社の重視や日本精神として大和魂や愛国心のようなマインドの強調はあったが、神様自体は問題にされておらず、精神世界の話しなど、全くの迷信とされていた、とのことです(P.3、P25参照)。それとなく書かれていますが、戦中の学校教育が啓蒙的、科学的、唯物論的に行われていたことを示す貴重な記述です。こういう部分はマスメディアも取り上げませんし、竹槍を持った紋切型の戦争ドラマしか見たことがない人が聞いたらびっくりするのではないでしょうか。当時の日本のあり様をさらっと書いて教えてくれるのも渡部先生の偉大なところです。
その他この本はヨーロッパの精神論やその推移をわかりやすく説明しながら、パスカルとデカルトの思想を対比させることで、パスカルがなぜ科学万能の世界だけでなく「繊細なる精神」を重視していったか、パスカルの経験した奇跡のエピソードを交えて教えてくれます。そしてここからが渡部先生の真骨頂ともいえる部分ですが、西欧の宗教的、神学的伝統にダーウィンの進化論が与えた影響を教えてくれます。ここでもダーウィンと同じイギリスの生物学者のウォレスを対比させることで、ウォレスがなぜ人間の脳にだけは進化論が適用されず、かつ人間には霊魂があるという結論にいたったかをわかりやすく教えてくれています。また先生にとってカソリックの洗礼を受けるかどうかというテーマをクリアするためにダーウィンの進化論とウォレスの仮説は非常に重要な意味があったことがわかります。そして猿から人間への進化の連続性についてクォンタム・リープ(量子力学的飛躍)があったのではないかと推察しながら、人間を人間たらしめているものは「言葉」であると結論する。言語学がご専門でもあった先生は「言葉」の定義をわかりやすく説明した後、「言葉」は人間に抽象的な概念、つまり精神的なものを確実にとらえることを可能にするもので、精神性とは霊魂の存在と不滅を意味することを説明してくれます。日本人の「言霊」思想やカソリックとプロテスタントについての対比なども、こういった精神世界を理解するうえでたいへん参考になります。先生は何かを対比することが自然で無理がなく、学術的なことのほか、ご自身の経験や見聞きしたエピソードを入れるのが上手です。納得感や満足感が得られ、読んだものも頭に残ります。
先生はこう述べています。「私は、今年八十一歳を超えました。この年齢になって、魂の存在や魂の存在や霊魂の不滅を信じることができるのは、実は、とても幸せなことだと思っています。信じるものなど何もなく、結局は、死んで空虚になり、無になるとしたら、虚無感に襲われて、たまらなくなるのではないか、と思うからです。」(P.35)
先生が亡くなったことを聞いた時、私は「先生が90歳、100歳と生きて、本を書いてくれると思っていた」と考えてしまったのは、命を肉体からだけとらえて、命の永遠を求めてしまったからにほかなりません。この本を読み返し、魂の存在を認めることで、私にも心の安らぎが戻ってまいりました。先生もきっと、心の安らぎとともに喜びある人生を終えられたと信じております。 合掌
*賭け パスカルのユニークな「賭け」を渡部先生のご友人である日本文学者、書誌学者の故・谷沢永一先生は「世界最大の脅し」と言っていたそうですが(P45)、谷沢先生の表現もユニークですね。(笑) 渡部先生と谷沢先生のテレビ番組「新世紀歓談」での対談は痛快でした!また「読書談義」など対談本も多数出ていて最強のコンビでした。・・・・・(著者)