私は保育所で友達を作っていった。その友達と一日中遊びにくれたのは言うまでもない。みな愉快な仲間だった。保育所にはトランポリンがあった。しかも本格的なやつだったと記憶している。自転車もあった。用務員のおじさんがいて、自転車のメンテナンスを丁寧にしてくれた。いつだったか、みんなでホットケーキを焼いて食べよう、という時があった。私はおじさんが自転車をメンテナンスするのを飽きもせず、ずっと眺めていて、気がついたらホーットケーキの時間が終わってしまったこともあった。おじさんは私を含め、子供たちとも遊んでくれた。おじさんは子供と接する時にはいつも笑顔だった。片足が不自由だったにもかかわらず、一緒に駆けっこもしてくれた。大きくなってから、一度だけ市内の駅近くの踏切ですれ違ったが、声をかけそびれてしまった。昔とほとんどかわらない面影だったことを覚えている。本当に優しい方で今でも感謝している。お名前も覚えているがここではKさんとしておきます。
保育所には小さなプールがあった。私はプールが好きで、夏になると毎日プールに入りたいと思った。鼻炎だったにもかかわらず、プールに何日も入ってしまったために、重度の中耳炎になったほどだ。後でたいへんな思いをするのだが、そんなことはお構いなしだった。
保育所での夏祭りもあった。今思うと夕涼み会のようなものだったかもしれない。先生たちが工夫をこらして、お化け屋敷の部屋を作っていた記憶がある。みんな浴衣になって、子供神輿を担いだり、盆踊りを踊った。庭にかき氷やどんどん焼き(お好み焼き)の屋台も出ていた気がする。私はどんどん焼きを焼くのも食べるのも好きだった。どんどん焼きは10円か20円程度で売ったと思う。
保育所なので夏休みというものはなかったのだが、保育所の主催で父母同行で秩父の長瀞にキャンプにいったことがあった。その時はそういうものに滅多に参加しない母も来てくれた。初めて飯ごうで炊いたごはんでカレーを食べた。川で遊んだり、魚を手で追いかけたりした。よくケンカをしたガキ大将肌の友達のお父さんは警察官で空手の有段者だった。河原の石を手刀で割って見せてくれた時は私を含め、男の子から感嘆の声があがった。屋外のテントで寝るのも初めてで本当に楽しかった。
O先生という比較的若い先生がいた。O先生は怪談話しが得意だった。O先生は夏になると怪談話しをよくしてくれたのだが、本や絵本を読むのではなく、即興だった。あるときO先生は「トイレ」の怪談話しをしてくれたことがあった。トイレから手が出てくるというものだった。しかもその日によって手の色が赤だったり青だったりするというものだった。O先生は表情が豊かで、身振り手振りが上手だった。話しの強弱をつけるのがうまく、「青い手がぁ、ぬーっと出てくる!」と手振りを交えてやるものだから、堪らない。私は夜トイレに行けなくなった。子供たちはO先生の話しに夢中になった。O先生は完璧なストーリーテラーだった。今だったら「子供がトイレに行けなくなって困るのでやめてください」などと母親から苦情が出そうなものだけれど(笑)、子供は刺激的な話しが大好きだ。O先生は怪談話しのほかにも、「舌切り雀」のような話しでは「したきりすずめ♪お宿はどこだ♪」と節をつけたりして飽きさせず聴かせる力があった。「舌切り雀」の最後で葛籠(つづら)からお化けが出てくるシーンはO先生の真骨頂だった。O先生、ありがとう。