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保育所の思い出 その2『ケンカの作法』

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私が保育所で最初に覚えたのはケンカだった。

当時、私は小食で体も大きくなく、冬に毛糸の帽子を被っていると女の子に間違えられるような子供だったが、気が強く、人一倍負けず嫌いだった。私にはケンカ相手の好敵手が2人いた。1人はガキ大将肌で体が大きく力も強かった。もう1人は私より力は弱かったが気が強く、私とはよくケンカになった。私を含む3人は、三日にあげずローテーションでケンカをした。子供は本当に純粋だ。好きなこと、嫌いなことがはっきりしていて、しかもそれを表現することができる。ケンカはその表れのひとつで、相手が自分より強くても弱くても関係ない。自分の思い通りにいかなかったり、自分に嫌なことをする相手がいるとケンカになるのだ。そして私にとってそれが許される時と場所が保育所だった。

ケンカにはルールがあった。それは泣いたら負けというものだった。相手が泣いたら勝ったほうもそれ以上手は出さない。保育所の先生たちも寛大だった。すぐにケンカを止めたり、仲裁したりしなかった。ケンカをしたことで先生から叱られるということも、謝らされたりすることもなかった。もしかしたら忙しくて手が回らなかったのかもしれない。(笑) しかしそのおかげで、思いっ切りケンカをすることができた。嫌な思いを、衝動を抑えることなく思いっ切り発散することができたのだ。結果として痛い思いもしたし、痛い思いもさせたがそれはフィジカル(肉体)の部分だけでメンタル(精神)は自由だった。

ガキ大将肌の友達からは何度でも私が立ち向かっていくので最後は「お前強いな」と言われて仲直りした。3人はよくケンカもしたが仲も良かった。ケンカが終わると仲直りして、なんのわだかまりもなく直ぐに遊んでいた。ケンカをしなければ仲直りの仕方もわからない。子供の腕力なら相手に大けがをさせることはない。だからケンカをするなら子供の時がいいのだ。そこでケンカのルールや仲直りの仕方を学ぶ、もっといえば「喧嘩両成敗」という姿勢を大人から学ぶということでもいい。

先生たちが放任していたとは思えない。放任主義も行き過ぎた干渉もなかった。それよりは「見守られている」という感覚に近かったと思う。男の子が腕力を使う自由を与えてくれて、「男の子の世界」を暗黙のうちに認めてくれていた気がしてならない。そして、その先生方の寛大さは保育所の園長(保育所だったので所長かもしれない)の小津先生の影響が大きかったのではないかと思っている。私は目に見えないものに守られていた。

余談だが、私は小学校の入学式当日にクラスメイトとケンカをした。そのクラスメイトはガキ大将肌で他のクラスメイトの筆記用具などの持ち物をひとりひとり見て干渉して回っていた。それが私のところに来た時にケンカになった。干渉される筋合いなどなかったからだ。もちろんそのクラスメイトとは後で仲良くなって、よくメンコなどをして遊んだ。ケンカをした記憶があるのは小学校の中学年くらいまでだ。最後のケンカは小学校の体育館の檀上だった。私には3歳年上の兄がいて、兄の友達が「おい、お前の弟が体育館の檀上でケンカしてるぞ!」と教えてくれたそうだ。私と性格が真逆で平和主義の兄は「あ、そう」と昭和天皇のような受け答えで取り合わず、友達に呆れられたそうだ。それ以降、殴り合いのケンカをしたことは一度もない。

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