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保育所の思い出 その1『大正製薬の森』

投稿日:2017年7月27日 更新日:

昔『さよなら、小津先生』というテレビドラマがあった。田村正和主演で、内容は、エリート銀行マンが失脚して、高校の政治経済の臨時教師をするという学園物のドラマだ。今回はこのテレビドラマについてのブログではない。この『さよなら、小津先生』というドラマのタイトルの響きが、どうしても忘れられない、ある人のことを思い出させるのだ。

今、私の息子は保育園に通っている。週に1~2回程度送り迎えをしたり、たまに父親保育に参加したり、運動会や夕涼み会のようなイベントにも参加している。楽しそうな息子や、元気いっぱいな子供たち、熱心に保育してくれる先生方を見るにつけ、私は自分が保育所に通っていた時の事を思い出していた。私には、どうしても忘れられない先生がいた。それは小津先生といって、保育所の園長先生だった。今から40年ほど前の話しだ。

私が通っていたのは埼玉県の市立の保育所だ。駅からは遠く田舎の保育所だった。ただ、近くには昭和40年代に建てられたマンモス団地があった。そのおかげで電気・ガス・水道のインフラは整っていたが、少し離れた農家には、まだ水洗便所がない家や井戸があるような田舎だった。荒川の河川敷も近く、養鶏場や小さな牧場もあった。私はそんな場所でのびのびと育った。

私の保育所の思い出は尽きない。賞味2年間しかいなかったが、楽しかった保育所の思い出がたくさんある。私は2年間で「ひなげし」と「カトレア」という、花の名前がついた組にいた。毎朝母親の自転車の後ろに乗って保育所まで通った。団地のすぐ隣に大正製薬の大きな運動場があった。運動場と団地の間には高いブロック塀があり、塀の内側は高い木が林のように生い茂っていて、私たち子供は”大正製薬の森”と呼んでいた。母親の自転車の後ろに乗せられて運動場沿いの道路を走りながら、当時テレビ放送していた『ルパン三世』のエンディング曲を歌った。それも行きも帰りのほぼ毎日歌った。『ルパン三世』シリーズの最初のもので、チャーリー・コウセイという人が歌っていた。エンディング曲が流れると峰不二子がバイクに乗って夕日の中を走るシーンが映される。そのバイク音も「ブーン、ブーン」と真似しながら歌った記憶がある。『ポンキッキ』の『およげ!たいやきくん』と同時期くらいで、私が初めて声を出して歌った歌であったと思う。

当時、私は小食でお味噌汁を全部飲むことができず残したりすることがあった。すると母親が私の健康を気づかったのだろう、お味噌汁を飲ませるために「お味噌汁を飲まないと大正製薬の森から”うわばみ”が出てきて、食べられちゃうぞ」と言った。「”うわばみ”って何?」と聞くと、蛇のことだというので、あんな可愛らしいものなど恐くないと思った。当時『ピンポンパン』という子供向けのテレビ番組の中に、人が手を入れて、口をぱくぱくさせる『パクちゃん』という蛇の人形がでてきた。可愛らしい人形で、家にも『パクちゃん』に似た人形があった。蛇と聞いて思いついたのが『パクちゃん』だったのでちっとも怖くなかった。

小学生になる頃には友達とその”大正製薬の森”にクワガタやカブトムシを獲りにいった。原則として部外者は入ってはいけなかったが、友達とこっそり塀を乗り越えて入り込んでクワガタ獲りに夢中になった。塀の中には番犬がいて、下手をすると吠えられたり追いかけられたりするので、うまくやる必要があった。番犬に会わないようドキドキしながらクワガタ獲りをしたのを覚えている。クワガタは土の中か木にいる。木の根元の柔らかい腐葉土を掘り起こすとコクワガタがいた。メスも嬉しかったが、やはりオスのコクワガタのほうが嬉しかった。ノコギリクワガタのような大きなクワガタは運が良ければ木にとまっているのを捕まえられたし、木を蹴飛ばして落ちてきたところを捕まえたりしていた。オスのカブトムシはなかなか捕まえられず、腕のいい友達は前日に樹液に似せてシロップのようなものを木に塗っておき、それに寄ってきたカブトムシを捕まえたりしていた。

”大正製薬の森”は現在は大きな商業施設になっている。

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