前回のブログでは大宮アルディージャの次期監督として森正志社長が石井正忠監督と契約することを確実視する記事を見かけ、そのことに危惧を覚えたために私なりの考えを書かせてもらった。
もちろん私の意見はひとつの考え方に過ぎないので、あまり堅苦しく考えず、こんな考え方もあるのかくらいに思ってもらえばいいと思っている。賛成でも反対でも、なぜ賛成なのか、なぜ反対なのか、大宮アルディージャをよくするにはどうしたらいいのか考えることが大事なことだ。
大宮アルディージャを見ていると軸になるような考え方が無い。軸になるような考え方がないのでいつも焦点がぼやけていて、ファンは何が良くて何が悪いて、何を褒めて何に憤っていいのか釈然としないことが多いのではないだろうか?(笑)私もそうだ。気持ち悪いんだよね(笑)
その軸となる考え方の一助としてこのブログも読んでもらえればと思う。
さて、石井監督の契約を確実視する記事の内容が本当ならもうひとつ気になることがある。
それは石井監督に好感をもっているファンの「付和雷同」をクラブが誤認している可能性についてである。
11月26日に行われたホーム最終戦をスタジアムで観戦したりテレビで観戦した人なら試合後の関係者の挨拶を見ていると思う。
それを見た人なら森正志社長と石井正忠監督の挨拶に対するファンの反応が180度違ったことを実感したはずだ。
森社長にはスピーチしている間は罵声とブーイングが鳴りやまなかった。
クラブを2部に降格させてしまったことを責められることは仕方がないことだし、ファンの気持ちもわかる。私はむしろファンがおとなしいと感じたくらいだ。
一方で石井監督は温かい拍手で迎えられスピーチしている間も罵声やブーイングはほとんど聞くことはなかった。むしろファンから感謝の言葉が石井監督に向けられていたように思う。
この気持ちも分からなくはない。
石井監督の監督就任には2部降格の危機を目の前に突き付けられて窮地に立たされている大宮アルディージャの前に現れた救世主のように捉えられている感がある。ツイッターのようなSNSでも監督を引き受けてくれたことに対して感謝するものが多く見られたし、ホーム最終戦を勝つことができなくても温かい拍手で迎えられたのもその表れではないだろうか。
監督就任会見で感極まって涙で声をつまらせた石井監督の姿もファンの共感をよんだことは想像に難くない。
だから私もそのファンの気持ちを無下に扱う気はないし共感することもできる。
森社長はホーム最終戦の挨拶の場に居合わせたわけだから石井監督に対するファンの反応を直接感じたはずだ。
ここからが本題だが、もしこれらのファンの反応を元に森社長が来季の監督として人気がある石井監督と契約しようとしているなら、本末転倒であることをいっておきたいのだ。
深読みかもしれないが、これは石井監督の契約を確実視する記事が11月27日に出たことから推察している。
この推察があたっていると、クラブがファンに迎合していることになる。
石井監督へ好感を持つファンの悪意のない「付和雷同」を利用した見せかけの契約が行われようとしているようにしか思えないのだ。
このようなことが起こってしまうのには、以前にもブログに投稿したが、ファンが親のような性質を持ち、クラブが子供のような性質を持っているからだと思われる。
親は子供のことが大好きなのだ。子供も親のことが大好きだ。
実は子供は自分を愛してくれている親がどのようなことをすれば喜ぶか知っている。
親が喜んでいる姿をみると子供もうれしいからだ。
子供には悪意がない。悪意がないゆえに始末に負えないことになる。
子供は親を喜ばしている行為が自分にとっていいことなのかわからなくても良かれと思ってやってしまう。
親はうれしさのあまり子供がやっていることが本当の意味で子供のためにならなくてもそのことに気づかない。あるいは気づいていても目をつぶってしまう。
なぜなら親は子供への愛情をたっぷり持っていて情緒的だからだ。特に母親が持つような愛情に似ているかもしれない。
例えば、かわいい子供におんぶをねだられてうれしくなった経験がある人はいないだろうか。子供のために良くないと思っていてもそこに悪意を感じなければつい甘やかしておんぶしてしまった経験を持っていないだろうか。
もし子供に悪意があるならげんこつで頭をぶっ叩けばいい。自分の足で歩きなさい!と諭せばいいのだ。森社長がもうこれ以上ファンからバッシングを受けたくないという身の保全から石井監督を選択しようとしているなら話しにならないように。
しかし石井監督のどこに悪意を感じるだろうか。ファンはうれしくなってしまわないだろうか。
だからこそ感情的にならずに冷静に状況を判断できる存在が必要になるのだ。
もう一度冷静に考えてみてほしい。
石井監督のミッションは大宮アルディージャの1部残留だ。
石井監督が就任した残り3節時点で大宮アルディージャの自力での残留はなかったわけだから、百歩譲って降格したとしても3連勝するか、3連勝できないまでも誰もが認めるような素晴らしい試合内容を伴っているようなことがなければ、次期監督の候補にしてはいけないと思うのだ。
数字は客観的だ。石井監督の戦績は2試合を消化した時点で0勝1分1敗(2試合合計の得失点差-3)だ。
感情は主観的だが、この2試合で感動した試合はありましたか?
ファンが石井監督に男気を感じ義士として認めることと、来季の監督として信任することは別物だと思うのだ。
まして、悪意の無い「付和雷同」をファンの信任とみなして森社長が石井監督と契約しようとしているなら、本当にそれがクラブ(子供)のためになることなのか、契約する前にもう一度真剣に考えてほしいのだ。
最後に、石井監督が大宮アルディージャの監督として適任者でない理由が他にもあることは前回のブログで書いた。
もし石井監督が大宮アルディージャとアンマッチだった場合、大宮アルディージャが不幸になるだけでなく、義士として監督を受けてくれた石井監督をその時になって解任することになるのですよ。そのほうがよっぽど不義理ではありませんか。
もちろん私は石井監督は現状の大宮アルディージャに適任ではないと考えているだけで、監督としての資質や実力がないと言っているわけではないことを念のためお断りしておきます。