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大宮アルディージャ観戦日記

東アジア選手権 (EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ)の意義 佐々木則夫氏、安英学(アン・ヨンハ)氏らによるパネルディスカッションも開催されるようだ

投稿日:2017年12月6日 更新日:

昨日は天気もよく、味の素サッカーフィールド西が丘に日本代表男子の一般公開練習を見に行ってきた。

東アジアカップのための練習で、初戦は12月9日(土)の北朝鮮戦、2戦目は12月12日(木)の中国戦、3戦目は12月16日(土)の韓国戦というスケジュールになっている。(ちなみに女子は12月8日が韓国との初戦だ)

今大会は日本代表にとってワールドカップ出場選手の国内組セレクションという位置づけにもなっている。

若い人は知らないかもしれないが1970年代から1990年代初頭まで日本と韓国は定期的に国際試合を組んでいた。いわゆる日韓定期戦である。

1990年代に入ってそれがダイナスティカップというカップ戦に方式を変え他のアジアの国も加わることになった。

これが東アジアカップ(EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ)の前身になったものだ。

日本が優勝した1992年のダイナスティカップは当時読売ヴェルディに所属していた三浦知良選手や浦和レッズ(当時は三菱浦和レッドダイヤモンズ)の福田正博選手を興奮しながらテレビで見たことを覚えている。V・ファーレン長崎をJ1に昇格させた高木琢也監督が得点王になった大会で中盤には読売ヴェルディのラモス瑠偉選手がいた。

2002年に日韓ワールドカップが開催されると、それ以降日本も韓国も優秀な選手は海外、特にヨーロッパでプレイするようになり、東アジアカップは主に国内の主力メンバーで構成されていき1990年代ほどの注目度は無くたってきたような印象を私は持っている。

国際Aマッチといわれるものでも海外の主力メンバーがいないと見劣りがするものだけに仕方がないことだと思うが、だからこそ日本代表の強化という点からもJリーグの開催期間を秋春開催にシフトしてほしいと私は考えていた。

ちょうど先月11月に日本サッカー協会の田嶋幸三会長が秋春開催の要請をJリーグ側にしたところだが、Jリーグからはにべもなく却下されたうえに今後、秋春開催の議論をJリーグ側は事実上凍結する構えを見せている。

Jリーグの秋春開催についてこのブログでは触れないが、Jリーグの秋春開催は日本代表の強化と長期的にはJリーグのためにもなることだと思っているので改めてブログで取り上げようと思っている。

 

もはやワールドカップアジア枠が4.5枠に拡大したこともあり、韓国のように日本との距離が近く実力が拮抗した国との国際Aマッチでの真剣勝負がほぼなくなってしまった。

私は海外の主力メンバーも含めたメンバーで韓国と戦うことは実力の維持や向上に繋がると考えている。

また近年では中国が2016年からマルチェッロ・リッピ監督を招聘して代表の強化に力を入れている。

マルチェッロ・リッピ監督はワールドカップ、ヨーロッパチャンピオンズリーグ、インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)の3つのタイトルを獲得した史上初の監督だ。

私はマルチェッロ・リッピ監督が指揮するユベントス対リバープレートのインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)での試合を1996年に国立競技場に観に行ったことがある。

生まれて初めて生で見る本場イタリアのゾーンプレスに圧倒されたことを覚えている。

レアル・マドリード監督のジダンがちょうどユベントスに加入したシーズンで、今からだと想像しにくいと思うが鬼のように走る若いジダンが見れた時代だ。

中国はイタリアや世界のサッカーに一時代を築いた監督を代表監督に据えサッカーの強化を図っているのだ。

中国もワールドカップ出場を目標にしており、今後はアジアの中で台頭してくる可能性もある。

また中国のプロリーグである中国スーパーリーグには、元ブラジル代表のフッキ選手や元アルゼンチン代表のテベス選手のような選手を何十億円もかけて獲得するようなクラブチームもあり、資金力がある市場になっている。

その様相はジーコやリトバルスキーがいたJリーグの黎明期を思わせるものがあるがプロリーグを含め中国がサッカーの強化に力を入れていることには変わらない。

中国が新たな日本のライバルになる可能性も十分にあることを考えると、一時期私がその価値に疑問を感じていた東アジアカップにも再度注目する要素が加わってくるかもしれない。

ラグビーのオールブラックス(ニュージーランド代表)を見ているとワラビーズ(オーストラリア代表)やスプリングボクス(南アフリカ代表)のような南半球の強豪国と常に対戦しているほか、欧州遠征も積極的に行い、世界ナンバーワンでありながら常にその実力の維持、向上に努めている印象がある。

常にタイトな状況に身を置いているように感じるオールブラックス(ニュージーランド代表)の姿勢はサッカーの世界ではないが非常に参考になると私は思っている。

東アジアカップはやり方次第では互いの国の実力の維持、向上にさらに役立てられる可能性がある。

明日12月7日にはEAFF(東アジアサッカー連盟)主催のシンポジウムが開かれ日本サッカー協会の田嶋幸三会長のほか、日本、韓国、中国、北朝鮮から関係者が集まり『サッカー世界一に向けての東アジア戦略会議』と題したパネルディスカッションも行われるようだ。

そこには大宮アルディージャのトータルアドバイザーの佐々木則夫氏、同じく大宮アルディージャでプレイ経験のある元北朝鮮代表の安英学(アン・ヨンハ)氏(懐かしいね~)、柏レイソルでプレイした元韓国代表の洪明甫(ホン・ミョンボ)氏らが参加する予定のようだ。

どんなことがディスカッションされるか楽しみだ。

 

余談ですが・・・

1992年のダイナスティカップが印象深く残っているのもダイナスティカップで日本代表として活躍した三浦知良選手と福田正博選手は同じ年の天皇杯準決勝で今度は敵として読売ヴェルディ対三菱浦和レッドダイヤモンズで対戦する。

Jリーグ開幕を1993年に控えた天皇杯準決勝は大いに盛り上がりこの準決勝の国立競技場の観衆は超満員の約6万人だった。

観衆の内、約9割が読売ヴェルディのサポーターで浦和のサポーターは1割にも満たなかった。

今では信じられないでしょう。(笑)

しかも私はその1割の浦和サポーターの一人だったのですよ。(笑)

福田正博選手の勝ち越し弾が入った時には喜びでブチ切れたけど、その後、カズにその歓喜を打ち砕く同点弾を叩き込まれた!

読売クラブの申し子、菊原志郎選手からスルーパスを出されカズに一発で仕留められてしまった。

結果はPKで浦和の負け。

福田のゴールはビデオで百回くらい見たかな。(笑)

1993年以降は読売から点を獲ることさえできなくなるからね浦和は。

Jリーグが開幕して浦和のホーム駒場で初めて読売から点を獲った選手がいます。

誰でしょう?

という質問に答えられるオールドファンはたまにいるんだけど、

ではアシストしたのは?

という質問に正解したひとは今のところ皆無です。(笑)

最も多い間違いはエドウィン上原。

正解は現在の浦和の監督です。

読売から点とった時は、駒場は優勝したみたいだったよ。(笑)

村井チェアマンに叱られちゃうけど、殺せ、くらい言ってたからね。(笑)

天皇杯の福田のゴールのビデオテープは今でも押し入れのどこかで眠っている。

当時、埼玉にプロクラブは浦和しかなかったんだよ、許してね(^_-)

J2で読売に再会だよ。(笑)

また読売に負けるの嫌だなあ。違うね、東京ヴェルディね!

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