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羽生善治永世7冠に見る引き算の発想法。将棋とサッカーの類似点。

投稿日:2017年12月6日 更新日:

私はド素人のヘボ将棋しか指せない。(笑)

「永世7冠」というのが将棋界でどれほどすごいことなのかは専門家の説明を俟たなくてはならない。

ただ羽生善治さんが昨日12月5日に「永世7冠」を達成したというニュースを聞いて、それが前人未到の偉業であることだけは理解できた。

私は羽生善治さんが専門家から見てどれだけすごい棋士なのかは厳密には知らない。

ただ、羽生さんの思考法とか発想法にはなぜか昔から興味があってその著書などは読んでいた。

そしていつしか羽生さんを通して将棋とサッカーに似たような要素があることも薄々感じていた。

今日は羽生さんの発想法と将棋とサッカーの類似点について語ってみたい。

 

昔、私と同じサッカーチームにいた友人にこんなことを言われたことがる。

「サッカーは同じことの繰り返し」

この友人は高校の時に埼玉県選抜になるほどの逸材でポジションはFWだった。

一緒にプレイしていても惚れ惚れするくらいサッカーが上手く、対戦チームの選手からも一目置かれるような存在だった。

「サッカーは同じことの繰り返し」

初めにこの言葉を聞いた時は私はその意味が分からずむしろ、そうなのかな?とピンとこない感覚があった。

私にはサッカーは常に同じではなく状況とともに違うことを繰り返しているように思えたからだ。

ただ、なぜかずっとこの言葉が頭から離れず心に引っかかっていた。

その時も友人に「どうして?」とは聞かなかった。

そしてある時それは将棋とリンクすることによって自分の中で「わかった」という瞬間がくる。

 

将棋には「定跡(じょうせき)」というものがある。

将棋の盤面においてある程度決まった形があることを意味していて、プロの棋士はその定跡を知り尽くしている。

さらにその定跡には、序盤、中盤、終盤での定跡がありそのひとつひとつを研究しているというのだ。

そして実はほとんどの棋士はその定跡から逸脱したことをやっていないということがまず私を驚かした。

プロの棋士はこの定跡をいくつもマスターしていて何度も何度も研究に研究を重ねようやくその定跡を打ち破る新しい一手を編み出していくという。

逆に言うと定跡を知らなければ新しい一手は生み出されないとも言える。

そして新しい一手を生み出すのは最後には閃きがものをいうという事実を羽生さんの著書で知った。

定跡を研究し理論に理論を重ねた結果、それを打ち破るのは理論ではなく「閃き(直観)」だというのだ。

私はこの事実を知った時、本当に衝撃を受けたことを覚えている。

 

将棋の定跡とは一体何だろう?

定跡とはその言葉が示すように定まった跡、つまり過去の痕跡だ。

過去に打たれてきた指し手の痕跡とでも言ったらいいだろうか。

するとこう言えないだろうか。

過去に棋士たちが考案して実戦してきた最善手であると。

つまり定跡とは最善手のことである。

定跡を繰り返し繰り返し研究するとは最善手の研究をするということだ。

ここで私の友人が言った言葉が蘇る。

「サッカーは同じことの繰り返し」

「同じこと」に「定跡」という言葉を当てはめてみると

「サッカーは『最善手』の繰り返し」

ということになる。

私は友人の言った言葉の意味がようやくわかったのだ。

私の友人は試合の中で「最善手」を打ち続けていたのだ。

サッカーの本質を見抜き「サッカーは同じことの繰り返し」ということが分かっていたのだ。

私のチームの中で得点ができる選手は限られていたが、その選手達に共通していたのは相手の最善手を上回る最善手を打っていたということになる。

それがなぜできたかというと理屈を超えたプレイをする「閃き」があったからだ。

ここからは今度は逆に羽生さんの「閃き」というものが理解できるようになってくる。

将棋の専門家によると羽生さんが定跡とされていた最善手を上回る一手を編み出す時、その手は専門家から見ても感動を覚えるようなものが多いという。羽生さんが「閃き(直観)」と呼ぶものである。

羽生さんが「閃き(直観)」を発揮できるのは、天才だからというよりは他の棋士よりも定跡の研究にどこまで真剣に取り組み、誰よりも深く掘り下げたということに尽きないだろうか。

「サッカーは同じことの繰り返し」という本質を見抜きその考え方でサッカーをやっていた私の友人のように。

永世7冠を達成した羽生さんは

「無駄なことを省いて引き算で考えるようになったのは経験によるものが大きい。これからもその強みを大切にしたい」

とコメントしたようだ。

今ではこの意味も何となく分かる気がする。

羽生さんの最善手はライバルの棋士たちに研究されつくされていたに違いない。

おそらく羽生さんは発想を変え今まで成功した最善手を捨てていったのではないだろうか?

あるいは相手の最善手を考えることをやめたのかもしれない。

そうやって何かを足していく方法ではなく引き算の発想で新たに勝てる方法を編み出したのではないだろうか。

いつかまた羽生さんがこの時のことを著書に表して真相を明かしてほしいと思っている。

このような柔軟な発想を持っていることが47歳にして竜王位を獲得し「永世7冠」を達成させたのだろう。

プロになって30年以上の経験を積み上げてきた羽生さんが引き算の発想法でタイトルを獲得したことはまさに「閃き(直観)」がなせる業ということになりそうだ。

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