「今日は実におもしろき耳学問をいたした。明日もきて、またいろいろと興味深き話を聞かせてくれ」
―わえがメリケで学問してきたのは、これほど大事にされる値打ちのあったことじゃったか―
(津本陽 『椿と花水木』)
ジョン万次郎ほど奇跡の連鎖を生んだ人はいないであろう。土佐の漁師だったジョン万次郎は嵐で遭難して無人島に漂流する。無人島でなんとか生きながらえて、偶然通りかかったアメリアの捕鯨船に助けられる。船長のホイットフィールドは母国アメリカでも一目置かれる人格者で、万次郎を気に入り、養子にしてパブリックスクールで正式な学問を受けさせた。
明治になって政府により西欧に派遣されるようになる留学生に先駆けて、近代になって初めての、意図せずした非公式の留学生第一号といったところだろうか。奇跡はまだまだ続く。
アメリカで学問を修めたジョン万次郎は一等航海士として捕鯨船にのりこむ。万次郎は船員からの信頼も厚く、副船長になり、捕鯨に伴う遠洋航海の経験を積んでいく。
(私は万次郎が副船長になったエピソードが好きだ。始めは船長に推挙された万次郎だったが、若輩者の自分が先輩を差し置いて船長になるのは気がすすまないと言って自ら副船長になるくだりは、万次郎の日本人らしい人柄の良さがうかがえる。また、若くても優秀であれば進んでその配下になろうとするアメリカ人の実力主義の気質もうかがえて面白い。これだからアメリカは瞬く間に一等国になった。)
ようやく帰国が叶った万次郎が最初に事情聴取を受けた要人は、幸運にも海外の事情に明るく、相談役として幕府からも一目置かれていた開明派の薩摩藩主島津斉彬だった。島津斉彬には万次郎がもたらした情報の価値がわかった。島津斉彬が、長崎奉行(幕府)に万次郎の宗門に疑わしきはなしと、書状を添えなかったら、万次郎の処遇はどうなっていたか分からない。
もしジョン万次郎がいなければ、ペリーが通交貿易を求め軍艦を率いて浦賀にあらわれた時に、幕府がその目的に確証を得られたかどうか不明である。ある程度の情報があったからこそ対応ができたと考えるほうが自然だろう。
万次郎はイングリッシュ(英語)ができた。オランダ語を介して英語を訳していた時代に、英語の読み、書き、会話ができたジョン万次郎の存在は大きい。船も操れた万次郎は重宝され、後に勝海舟らに随行して咸臨丸で再度アメリカに渡ることになる。
奇跡は起こすものでなく、起きるもの。この小説はそんなことを教えてくれている気がする。ホイットフィールド、島津斉彬、万次郎の価値を認めた軍学者の江川坦庵など、その出会いだけでも奇跡の連続だ。アメリカではキャサリンという気立てのいい婚約者まで作ってしまったのだから。
この数々の奇跡は太平洋を中心にした海洋を舞台に繰り広げられた。『椿と花水木』(2009年 津本陽 幻冬舎時代小説文庫)解説の菊池仁氏は、この小説に、漂流物あるいは海洋文学としての価値も見出していて面白かった。そう言えば日本の文学で海洋文学としてパッと思いつくものはないかも。海外だとデフォー『ロビンソン・クルーソー』、スチーブンソン『宝島』なんかすぐ思いつくし、個人的にはヘミングウェイの『海流の中の島々』が好きかな。
ジョン万次郎・述で比較的簡単に手に入る本は『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』(2018年 講談社学術文庫)。土佐藩の上層部の必読書だったそうですよ。文庫には素敵なイラストが盛り込まれている。