次に「サッカーとは何か?」「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」の「フラクタル」について書こうと思います。「カオス」はサッカーの前提論のようなところがありましたが「フラクタル」は前提論だけでなく方法論そのものになっていきますので、より重要になっていきますが、ここでは前提論としての「フラクタル」の要素を書くことにとどめます。モウリーニョ監督の練習方法も、この「フラクタル」の要素から成り立っているようです。「フラクタル」の概念を応用した方法論については非常に重要ですので別途投稿します。
さて「フラクタル」について以下松村尚登さんの「テクニックはあるが『サッカー』が下手な日本人」から引用します。「次に“フラクタル”ですが、図形の全体と一部分が相似関係(=自己相似)になっているものを指す幾何学の概念です。例えば、リアス式海岸、樹木、血管、肺胞、神経細胞、山の輪郭、株価チャート、稲妻など、世の中のさまざまな場所には“フラクタル図形”が存在します。もっとも雄大な例としては、銀河系、太陽系、地球、原子はどれも『ある物体の周りを別の物体が回り続ける』というデザインを持っていますから、これもまた“フラクタル(=自己相似)”の関係にあると言えます。また、“カオス”は自己相似という特徴を持っているため、“カオス”を理解する上で自己相似を意味する“フラクタル”という概念がしばしば使用されます」
私なりに表現すると「全体と部分の形がそっくりだが、完全に同じではないもの」とでもなるでしょうか。さっそく川崎戦に敷衍してみましょう。
後半21分の川崎FW小林悠のゴールはMF中村憲剛のコーナーキックから生まれました。コーナーキックは試合の中で何度か目にするシーンですが、その形は決まっています。コーナーにボールがセットされて、ペナルティエリアには川崎の選手と得点を阻止するためにディフェンスする大宮の選手が入り乱れます。細部はキック、走りこむ、ヘディング、マークする、などの要素で構成されています。コーナーキックのシーンはサッカーを見ている人なら何度となく見てきた光景です。いつ見ても同じようなシーンですが、どれひとつとして全く同じコーナーキックはありません。つまり「フラクタル」ということになります。
「サッカー」を「フラクタル」と定義したうえで、「フラクタル」について非常に簡単にまとめてしまえと次のように言えます。
「サッカーは同じような場面や似たような状況が何度も繰り返される」「サッカーは同じことの繰り返し」「サッカーはどの局面を切り取っても、似たような場面であるが、どの局面も全く同じものはない」
これらのことから「試合や実戦とそっくりな練習や環境を作り出すことで、サッカーが上達する」という仮説が導き出され、松村尚登さんが言う「サッカーはサッカーをすることによって上手くなる」という“サッカーの本質”論が語れるようになりますが、それについては別途投稿することにいたしましょう。