“私は山に向かって目をあげる。わが助けは、どこからくるであろうか”
(詩篇一二一篇一節)
“白雲郷(はくうんきょう)”に浸ろうと喫茶店で本文を起稿していると、サラリーマンが私の後ろに座った。おもむろにパソコンを取り出し“仕事”をやり始めた。パタパタとキーを叩く音と、煙草で痰が絡むのであろう咳払いの音が耳障りでしょうがない。かつての己を見るようだ。お茶をズルズルと啜り、挙句の果てに携帯電話が鳴った。クックッと笑いながら「あと1時間くらい“きっちゃてん”で仕事していく」とのこと。もうここを出よう。
“我生(わがせい)は何処(いずこ)より来たりて 去って何処(いずこ)にか之(ゆ)く
独り蓬(よもぎ)の窓の下に坐して 兀々(こつこつ)と静かに尋ね思う
尋ね思えども始めを知らず 焉(いずく)んぞ能(よ)く其の終を知らん
現在も亦復(また)然り 展(めぐ)り転(うつ)れども総て是れ空(くう)
空中に且(しばらく)く我有り 況(いわん)や是と非と有らんや
些子(いささか)を容れるを知らず 縁に随(したが)って且(しばら)く従容(しょうよう)せん“
(良寛禅師)
”随所随縁(ずいしょずいえん) 清興(せいきょう)足る”
“我未(いま)だ死せざるの時 人と縁(えん)有り”
(夏目漱石)
良寛、漱石いずれの詩も渡部昇一著「白雲郷(はくうんきょう)と色相(しきそう)世界」からの抜粋