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保育所の思い出 その5『捨て猫を可愛がってくれた小津先生』

投稿日:2017年8月3日 更新日:

おおらかさと優しやということではこんなエピソードもある。ある時、私たちは保育所の外に散歩にでかけた。場所はもう覚えていないのだが、散歩の途中で段ボールの中に小さな猫が何匹か捨てられていたのだ。私たちはその捨て猫を保育所に連れて帰った。私たち、特に女の子は先生に猫を保育所で飼ってほしいと懇願した。もちろん先生たちも判断がつきかねて、話しは園長の小津先生のところにいった。しかし、市営の保育所で猫を飼うことは許されていなかったのだろう、さすがの小津先生もいいとは言ってくれなかった。そこで猫の引き取り手を探してくれることになった。そしてその捨て猫の内の一匹を小津先生自らが引き取ってくれるというのだ。私たちは猫が保育所からいなくなってしまうのは寂しかったが、引き取り手が小津先生であることを聞いて安心した。その他の猫もほどなく引き取られていったと記憶する。数か月後、私たちは驚くことになる。小津先生の家に猫が引き取られてから数か月が過ぎた時、小津先生が大きくなった猫の写真を見せてくれた。そこには痩せてブルブル震えているあのみすぼらしかった子猫の姿はなく、まるまると肥えて毛並みが艶やかになった幸せそうな猫がいたのだ。猫は人の手が加わるだけで、このように美しくなるものかと、私は子供心に思った。それは小津先生の愛情をたっぷりと受けた猫の姿だった。私たちは喜んだ。私はその猫の姿を見た時に、心がジーンと温かくなったのを覚えている。本来、並大抵ではこんなことことはできないことだ。子供が小さい動物を飼ってほしいなどということはよくあることだ。ましてそれが捨て猫ということなら、普通であれば保健所に対応してもらうか、百歩譲って貰い手を探すことぐらいしかできないはずだ。それを自らが引き取って大事に育てたのは、子供たちが悲しむ姿を見たくないという思いと、子供たちを喜ばそうとした思いやりなくしてありえない行為ではないだろうか。

母がS先生から聞いた話しでは、保育所には小津先生をよく思わない先生がいるとのことだった。それは小津先生のこのような振る舞いや、子供たちへの接し方を揶揄するものだったらしい。特に若い保母さんからの受けがよくなかったようだ。母が「ツンケン」していると言っていた保母さんたちだ。「だから子供たちはみんな小津先生が好きだったし、小津先生は自分がよく思われていないことを気にもとめていない様子だったよ」と母も言っていた。私も小津先生が大好きだった。子供にとって聖人のように見える女性は、もしかしたら保育所の経営、管理、運営面からみたら鈍いところがあったのかもしれない。私は幼かったから、そういう部分はわからないが、イギリスの偉大な作家ウォルター・スコットがこんなことを言っている。

「心を豊かに育てることに比べれば、その他はすべてとるに足りないことだと自覚しなければならない」

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