渡部昇一先生の『知的風景の中の女性』は昭和52年(1977年)に主婦の友社から出版された単行本だ。平成4年(1992年)に講談社学術文庫から『いまを生きる心の技術』と改題されてリプリントされている。当時、私が読んだのは講談社学術文庫の方だが、主婦の友社の単行本も古本屋で買って持っていたので読み返してみた。
タイトルが「知的」となっているのは、この本の女性観が「体験的」ではなく「考えた」ことを意味していることを、渡部先生は後書きで書いておられる。ただ、この本の冒頭には「母の霊に捧ぐ。」とあるので、渡部先生の女性観の中にお母さんがいることを忘れてはならないと思う。従って、この本は女性について科学的、宗教的にアプローチしながら、そのベースになっている女性観は、お母さんやその周りにいた女性たちとの「体験」があってこそ作られているものと推測する。というのも、男が最初に接する女性はお母さんだからだ。渡部先生は確かドイツ留学中にお母さんを亡くしていて、親の死に目に会えなかった。ただ、お母さんが亡くなった時、遠い外国の地にいながら、よりお母さんが近くなった気がすると、渡部先生は別の本で語っている。お母さんをとても尊敬していたみたいだ。
この本を読んだ当時、私の印象に強く残ったは、人間には「機能快」というものが備わっている、ということだった。これは心理学者のカール・ビューラーという人が子供の精神的発達の研究の際に発見した概念だそうである。例えば人間には言葉を話すという「機能」が備わっていて、子供が言葉を覚えることは楽しくてしょうがない、というものだ。人間は自分に備わった潜在する機能を使うことに喜びを感じるとのことらしい。私には5歳の息子がいるが、自分の子供を見ていても、新しい言葉をどんどん覚えてきて、その言葉を使うのが楽しいみたいだ。
女性に「機能快」の概念を当てはめてみた時に、機能快を十分に味わえるもののひとつに「妊娠・出産」がある。子宮の中に新しい生命を宿し、生まれたらお乳をやり、大きくなるのを見ることは、女性に深い喜びを与えるというのだ。私はこんな興味深い話しを聞いたことがある。私には一回り年下の知り合の男性がいる。その男性は8人の兄弟(お姉さんもいたと思う)がいるのだ。私の同年代や年下の世代で8人の兄弟がいることは稀だ。多くても3人くらいではないだろうか。その男性のお母さんは、ほぼ年子で次々と子供を産んでいったという。興味深いのは、3人目~4人目以降になると、痛みはもちろん伴うものの、分娩が気持ちいいものになるというのだ。個人差はあると思うし、年子であることも関係しているかもしれないが、私はこの話しを聞いた時、本当に驚いた。出産は痛いもの、大変なものとばかり思い込んでいたからだ。それもそのはずで、私の身の回りで4人以上兄弟がいる人はいなかったから。この話しが聞けたのは、その男性があまりにも早食いだったので「なんでそんなに食べるのが早いの?」と聞いたのがきっかけだった。「僕8人兄弟だったので、早く食べないとおかずがなくなっちゃうんです」(笑) 当時、家計はたいへんだったようですが、今では高給取りの兄弟もいて、お父さんとお母さんが経済的に困ることはないそうです。
ノーベル生理学・医学賞を受賞したアレキシス・カレルによると、女性は2人以上の子供を産むと母体にとって良いとの研究もあるようです。おそらく免疫力やホルモンのバランスの観点から言われていることだと思いますが、そういうこともあるかもしれませんね。精神的な強さも備わるのかもしれません。
女性には子供をつくる機能快があると同時に「物をつくる」という機能快もあるようです。これは私の経験からも納得のいく仮説です。渡部先生のお母さんは梅干し、漬物、納豆、豆腐、お味噌まで作っていたそうです。だからお味噌汁がおいしいということは、お母さんが作ったお味噌からおいしい、ということになったそうです。私の母はお味噌、納豆、豆腐は作っていませんでしたが、梅干し、梅酒、漬物は自分で作っていましたね。母が糠(ぬか)みそをこねるのを飽きもせず眺めていたことを思い出します。母は裁縫が得意で、浴衣を作ってくれました。毛糸で編んだセーター、手袋、帽子もありました。冬用のコートを作ってくれたこともあります。子供心にお母さんの「手」は何でも作れると思っていました。靴下やズボンに穴があくと、さっと裁縫道具を取り出して、あっという間に継ぎ当てをしてしまうので、魔法のようだと思ってました。それにしても昔の女性はすごいですね。お味噌、納豆、豆腐も作ってしまうというのですから。私の母も料理や裁縫を楽しそうにやっていました。お母さんが愛情をこめて作った料理や縫物が、おいしかったり、着心地がよかったりしたのは、女性が機能快を目いっぱい働かせていたからかもしれません。
母からは命を授かり、育まれてきました。それは天から与えられた能力かもしれません。私の「体験的」な女性観から言っても『知的風景の中の女性』は今でも十分な納得感をもって読むことができる書物です。
渡部昇一先生はカトリックですから、聖トマス・アクィナスのこんな言葉を紹介しています。
『最もよきものは恩寵としてくる』