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大宮氷川神社『明治天皇行幸150周年』~11月3日「文化の日」に思う明治の貴重な遺産「教育勅語」について~

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アドセンス PCのみ記事上




10月28日にさいたま市にある大宮氷川神社で『明治天皇行幸150周年』が催された。

1868年の10月28日に明治天皇の行幸があったことを記念して150周年のお祝いがあったのだ。

11月3日は「文化の日」(明治節=明治天皇のお誕生日)ということもあり、明治天皇にまつわることを書いてみたい。

 

その前に、私と大宮の氷川神社との関わりを述べると、私の生まれと育ちはさいたま市の近郊で、ここ15年くらいはさいたま市内に住んでいる。

幼いころから氷川神社には七五三、初詣、花見などで馴染みがあった。大人になってからは薪能(たきぎのう)を観たこともある。

氷川神社の傍には、春になると桜のトンネルのようになる大宮公園や、若き日のマラドーナもプレイしたことがあるサッカー専用競技場のNACK5スタジアム大宮(旧大宮公園サッカー場)がある。Jリーグの大宮アルディージャがホームスタジアムとして使用している。浦和レッズも浦和駒場スタジアム改修期間中に1年間ほど使用していたこともある。

私はサッカー好きなのでJリーグだけでなく、若い頃は高校サッカーをNACK5スタジアム大宮(旧大宮公園サッカー場)によく観に行った。高校サッカーと氷川神社への初詣はセットになっていて、友達と連れだって氷川神社へ参拝したものだった。

今Jリーグが開催中なので、大宮アルディージャのホームゲームは毎試合観に行っている。スタジアムへ行く際は氷川神社の参道脇を通る。一か月くらい前からだろうか、参道に白い提灯がたくさん並んでいるのを見て「何か祭禮でもあるのかな?」くらいにしか思ってなかったが、それが『明治天皇行幸150周年』だったのだ。

『明治天皇行幸150周年』のお祝いがあることは地元の情報を発信しているウェブサイトで知った。私は長年の間、大宮の氷川神社に参詣していたにもかかわらず、明治天皇が行幸された過去を知らなかったのだ。私は明治天皇を尊敬していたこともあり、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。

また、大宮の氷川神社についても、須佐之男命(スサノオノミコト)を中心にお祀りしていて、全国の氷川神社の総本山であることくらいは知っていたが、明治天皇が即位した後に「勅祭社」になっていることも知らなかった。

「勅祭社」というのは祭事に対して天皇から勅使が派遣される神社のことで、大宮の氷川神社のほかには熱田神宮、鹿島神宮、出雲大社などが「勅祭社」になっているらしいのだ。たしか靖国神社もそうだったはずだが、名だたる神社ばかりということになる。つまりランクが高い神社ということだ。

そうだと知っていれば、もっと恭しくお参りしていたのに!と思った。(笑)

これは冗談だが、明治天皇の行幸があったと知った時には本当にうれしく思った。なぜなら天皇陛下がお参りする神社は伊勢神宮や靖国神社などに限られ本当に少ないからだ。

さて『明治天皇行幸150周年』のお祝いは10月28日に行われた。実際に行っていないのでどのようか事が行われたのかは知らないが、何より無事済んだようんだのでお慶び申し上げたい。

11月3日は「文化の日」で明治天皇のお誕生日にあたる祝日だ。お祝いが続くことになるが、この間、母親と雑談をしていたら「最近は犯罪が絶えないねえ」と言うのだ。「そうだね」などと話しているうちに、私は明治天皇のことを思い出していた。「お母さん、それはね、きっと『教育勅語』のような道徳が無くなったからじゃないのかな」と言うと、今度は母が「そうだね」と相槌を打っている。母は戦前の『教育勅語』を知っているので、この会話で私が何を言っているか分かってしまうのだ。戦後の教育を受けた人に「教育勅語」なんて言うと、すぐ軍国主義と結びつけたりして、しかめっ面をされてしまうけどね。(笑)

年をとって今でこそ言えなくなってしまったけど、昔は「教育勅語」を言えましたからね、母は。

「朕惟(オモ)フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・・」

「教育勅語」は実に納得感のある道徳が並べられている。例えば「先祖と両親を大切にしよう」「家族は仲よくしよう」「夫婦は仲よくしよう」「友人とは信じあえる仲になろう」「学業に励もう」「人格を養おう」「仕事の知識や技術を習得しよう」といったものだ。

詐欺のような犯罪や、いじめや不倫などの倫理観の欠如などもこれら徳目と相いれないことが一目でわかるのではないだろうか。

もともと「教育勅語」(教育二関スル勅語)ができるきっかけになったのは、開国で国内が西洋化する気風よって日本の伝統的な価値観が失われたり、はじめての憲法や議会の制定で世の中が騒然とする中で、そのような文化的、政治的な混乱に加えて、各校がバラバラに教育を行う教育現場の混乱をご憂慮されていた明治天皇が、各知事の倫理道徳教育に関する建議を閣議でご覧になって「徳育に関する箴言を編纂したらどうか」と、総理大臣だった山縣有朋に仰られたからだそうだ。明治天皇は開国後の徳育に関する危機感を誰よりもお持ちだったようだ。

そこで明治天皇は儒学者の元田永孚(もとだながざね)と洋学と国学に通じた井上毅(いのうえこわし)に相談して「教育勅語」を編纂させたのだ。それは特定の宗教や特定の学者の倫理観によらないように細心の注意をもって編纂され、完成した教育勅語を英語、ドイツ語、フランス語、漢語に訳して世界中に配って反応をみたところ、各国からは讃えられたそうだ。

日本は戦後、教育勅語を捨てたが、詐欺やら煽り運転で相手を死なせるような事件や、不倫、いじめなどの報道を見ていると、同時にその徳目まで捨てようとしているように見える。だから母には「教育勅語」のような道徳が無くなったのではないかと言ったのだ。

『明治天皇行幸150周年』で思いついた明治天皇にまつわる話しはこんなことだった。

 

余談だが、明治天皇のお誕生日は「文化の日」という名称になっている。どうして「文化の日」という名称になったのかは知らないが、なんともピンとこない名称だ。英語の「カルチャー(culture)」のことを「文化」「教養」などと訳すが、むかし某有名予備校の英語の先生(私が大好きだった先生だ)がこんなことを言って興味をそそられたのを覚えている。

「『文化』という訳語は点をつけると0点だ。意味がわからん(笑)。もしかしたら明治時代の『文明開化』を略して『文化』としたのだろうが、『カルチャー(culture)』の動詞形は『カルティベイト(cultivate)』で”耕す”という意味になる。 そういう意味からだと『教養』のほうがなんとなく近い気がするけど、それでも60点くらいかな(笑)」

その先生の英文和訳は文学のレベルにまで昇華されることがあり、他の先生も一目置いておられるような先生だったが、その先生も「なんて訳すのがいいかなあ」と「カルチャー(culture)」のいい訳語が思いつかないようだった。

ただその先生はこう言った。

「『カルティベイト(cultivate)』つまり、耕してできた作物や花がある。たわわに実った収穫物を食べて、君たちの喉を潤すもの。あるいは美しく咲いた花を見て、君たちの目を癒すもの。(目の前に座っていた女生徒に向かって)そう、そこのお嬢さん!君という花を見てどれだけの人が癒されるか、君という実を食べてどれだけの人の喉を潤すことができるか、それが『教養』なんだよ。そしてその一人一人の『教養』がたくさん合わさる時、それを『文化』というのではないだろうか」

 

明治天皇のお言葉(教育勅語)に見られる徳目は日本人の心を養ってきた。教養というよりは修養といったほうがしっくりくるお言葉だ。

そこで提案があるのだが「文化の日」では意味がわからんので「修養の日」にしたらどうだろうか。

いやまてよ、修養といっても、今の日本人にはその徳目が何かすら分からないひとが多いと思うから(笑)、やっぱり分かりやすく『明治節』に戻してくれないかな。(笑)

 

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