「メメント・モリ(memento mori)」ラテン語で「死を思え」という意味の格言だ。
どこでこの格言を聞いたのかは覚えていなけど、ずいぶん前から記憶している言葉だ。
何か芸術に係わる言葉として記憶していたと思う。
かみ砕いていうと「自分は必ず死ぬことを忘れるな」ということらしい。
この言葉の意味、記憶に残ったものの、今までぴたっとくる感覚はない言葉だった。
でもこの間、スウェーデンボルグの『霊界日記』やら村上和雄先生の『魂と遺伝子の法則』を読んでいたら、何となく自分の感覚にフィットする言葉になった。
それは「今を生きる」という言葉とリンクしている。
「今を生きる」という言葉はロビン・ウィリアムズの映画『今を生きる』に出てくる言葉だ。
国語の先生扮するロビン・ウィリアムズが学生たちにこの言葉を教える。
「今を生きる」は英語だと「シーズ・ザ・デイ(seize the day)」ラテン語で「カーペ・ディエム(Carpe diem)」というふうになる。
「メメント・モリ(memento mori)」(自分が必ず死ぬことを忘れるな)は「カーペ・ディエム(Carpe diem)」(今を生きる)」こととセットになった時、はじめてフィットする感覚になった。
村上和雄先生の『魂と遺伝子の法則』によると、人間の細胞のような目に見えるものを微視的に観察していくと、DNAという分子に辿り着く。DNAに書き込まれている遺伝子によって細胞が形作られ命が生かされているものの、その先のこと、つまりなぜ遺伝子が作用するのかは分からないという。
「その先のこと」が「メメント・モリ(memento mori)」(死を思え)ということなのではないだろうか。
「死を思え」つまり「その先のこと」を思えって言われても、どうしたらええねん!とならないだろうか?
簡単にいうと「死後の世界」ということになってくる。
スウェーデンボルグの『霊界日記』には「死後の世界」がふんだんに出てくるが、これを信じられる人が読めばいいが、信じられない人からすると、何言うてんねん!ということになる。
そこで面白いことを言ったひとが数学者・哲学者のパスカルだ。
パスカルは著書『パンセ』(瞑想録)の中で面白いことを提唱している。
それは「『神様はいる』に賭けませんか」という賭けの提案だ。
パスカルが面白いのは「旦那、この賭け、負けても損しまへんで!」というところ。
「ほんまかいな?」というひとにパスカルはこう言っている。
「仮に『神様はいる』ほうに賭けて死んだ後に神様がいなくても何も損しまへんがな。それよりも神様がいたらどないしなはるんですか?『神様はいる』ほうに賭けていたら、今生きている間が楽しゅうおまへんか?そな、賭けなはれ』
「ほな、賭けてみまひょう」
てな具合で賭けてみると、びっくり!
「メメント・モリ」(死を思え)」と「カーペ・ディエム」(今を生きる)」がフィットしてくるのでした。(笑)