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【再掲】西郷隆盛 明治維新と大西郷の意味 大河ドラマ『西郷どん』スタート

投稿日:2018年1月7日 更新日:

2018年の大河ドラマは西郷隆盛の生涯を描く『西郷どん』だ。

放送は2018年1月7日からスタートするとのことで先日は大河ドラマの原作の小説、林真理子著『西郷どん』をブログで紹介した。

私はブログの中で林真理子の『西郷どん』は非常に簡潔にまとめられたシナリオのような小説であると感想を述べた。『西郷どん』は上下巻の単行本でそれほどボリュームもなく、大河ドラマの予習として一気通貫で読めるし、明治維新や西郷隆盛をあまり知らない人にとっても入門書として面白いのではないだろうか。

今日はその明治維新の意義と西郷隆盛の存在意義について私なりにおさらいしてみたいと思う。

 

「世界近代史上における明治維新の意義を一言で言えば、それまで白色人種の独占物と思われた西洋近代文明を、有色人種も身に付けることができることを示した点にある」

ー渡部昇一著「日本の歴史5巻明治篇」(2010出版 WAC)ー

これほど明瞭に明治維新の意義を言い当てた言葉はないのではないだろうか。ここで重要なのは「世界近代史」という視点で、この視点がなければ明治維新の本質は何もつかめないと言っても過言ではないと思う。明治維新後の日本はいかなる国の植民地になることもなく近代文明を身に付けていった。その恩恵が今日の日本にまで及んでいることは言うまでもないだろう。

西洋近代文明を有色人種である日本人が身に付けるにいたった経緯として幕府を討幕する必要があった。その討幕に重要な役割を担ったのが西郷隆盛だったことになる。もちろん討幕に舵をとった大久保利通や岩倉具視らの存在は欠くことができなかったにせよ、西郷隆盛なかりせば薩摩藩と長州藩の同盟が成立していたか、また江戸無血開城という離れ業もなしえたかどうかを考えれば、西郷隆盛の存在がいかに大きなものであったかが分かるはずだ。

もし西郷隆盛がいなくても日本は近代化をなしえたかもしれない。あるいは討幕でなく公武合体でも近代化したかもしれないが、ややもすればそれは遅々としたものになったことが想像に難くない。なぜなら幕府が残ったままであれば、廃藩置県や廃刀令のようなものは行われず、士族階級が残れば徴兵による近代化された軍隊の創設が遅れたであろうことは容易に想像がつくからだ。先ほどの世界近代史という視点からみると明治維新の遅れが世界の相関図に重大な変化をもたらしたのではないかと考えると、西郷隆盛の存在意義が浮き彫りになってくるだろう。

討幕をなしえた後の西郷隆盛は非業の死を遂げることになる。遣欧使節団として岩倉具視、大久保利通、伊藤博文らが国を離れた後の国内の問題を西郷が一身に背負ってしまった。私は征韓論などもその中のひとつに過ぎないと思っている。政権が入れ替わった時、既得権を手放した士族の中から不平士族が出ないわけがないのだ。西南戦争は皮肉にも明治維新の中心的役割を果たした九州の士族から起こる。西郷隆盛は盟主として担がれ不平を一身に背負って死んでゆく。叛乱軍は抑えられ結果として西南戦争の終わりとともに明治新政府が名実ともに日本を統一することになった。

靖国神社には西郷隆盛は祀られていない。明治天皇の官軍に弓を引くかたちになってしまったからだ。しかし明治天皇は西郷隆盛のことが好きだった。

その後、明治天皇の意向により逆徒の汚名をそそがれた西郷隆盛の銅像が、勝海舟、山縣有朋、大山巌、東郷平八郎ら明治の元勲に見守られ上野に落成されることになった。

山縣有朋、大山巌、東郷平八郎は日清・日露戦争でその才能を発揮した元勲たちだ。山縣有朋と大山巌のほか児玉源太郎や乃木希典も西南戦争で西郷軍と戦った経験を持っている。日本の近代化と合わせ戊辰戦争や西南戦争を経験してきたこれら歴戦の強者たちのお陰で日本は日清・日露戦争に勝つことができたわけだが、その戦争の経験の中に西郷隆盛との戦さが入っていることに憐れさを覚えることを禁じ得ない。

世界史に躍り出た日本 渡部昇一「日本の歴史」5 明治篇

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