2019年に翻訳小説でミステリー部門の7つの賞を総なめしたのが『カササギ殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ 創元推理文庫 2018年)。7冠は史上初とのことで、さながら将棋界の羽生さんだ。
『カササギ殺人事件』にはミステリー小説のテクニックが駆使されているようだ。目の肥えたミステリーファンでさえ絶賛しているのが見受けられる。私もグイグイ物語に引き込まれて、ほとんど一気に読んでしまった。ミステリー小説をこんなに面白いと思ったのも初めてかもしれない。作品中に見られるアガサ・クリスティーへのオマージュもファンにとって垂涎ものになっている所以かもしれない。
私はそういったミステリー小説の醍醐味とは別に、作者のアンソニー・ホロヴィッツの文章にある種の品格(キャラクター)のようなものを感じた。コナン・ドイルやG・K・チェスタトンが書いた良質な作品を読んでいるのと似たような感覚だ。イギリスの系譜といったらいいだろうか。
『カササギ殺人事件』には「ジョージ朝時代の建物」とか「ヴィクトリア朝時代の小説」といった具合に古いイギリスを想起させる描写が出てくる。イギリスは王朝によってその時代の特徴を表現でき、現代にいたるまでその断絶が無い。その文物はそのままイギリスの文化・産業の系譜だ。アガサ・クリスティーの小説もその中の一つと言える。
G・K・チェスタトンは歴史の感じ方には二つあると言っている。「よき時代が去ろうとしている」というものと「よき時代が到来しようとしている」というものだ。
『カササギ殺人事件』には前者の「よき時代が去ろうとしている」という感じ方を起こさせる力がある。作家のホロヴィッツは、それを文体を自在に操ることによって事も無げにやってしまっている印象をうけた。イギリスには歴史とミステリー小説の伝統があるために、かえって「よき時代が去ろうとしている」という感覚が研ぎ澄まされるのかもしれない。『カササギ殺人事件』はその系譜の中にある作品と言えそうだ。