読みかけのアガサ・クリスティ
膝の上に伏せて
遙かナイルの流れに目を癒せば
(さだまさし『ナイルにて ―夢の碑文(いしぶみ)―』
アガサ・クリスティーが探偵小説のことを”逃避的文学”と位置付けていることに驚いた。探偵小説というと、どちらかといえば謎解きやトリックなどで知的好奇心を満足させる娯楽という感覚しか私にはなかった。
”逃避的文学”というからには、何から逃避しているのかということになる。それはおそらく現実から、あるいは日常からの逃避ということになろう。確かに現実にはそんなにたくさんの殺人事件は起こらない。まして警察そっちのけで探偵が大活躍するなどという話しも聞いたことがない。探偵小説はそんな現実あるいは日常から「逃避できる文学」ということになるかもしれない。
面白いのは、アガサ・クリスティーが探偵小説と合わせ、”海外旅行物”も逃避的文学として認めている点だ。犯罪やそれを解決することを描いた世界が、ある意味で現実逃避できる世界だとすれば、その舞台が海外で描かれることでさらに世界が変わり、より逃避的な要素を強めることを言ったのだろう。
アガサ・クリスティーにとって探偵小説+海外旅行物=逃避的文学プラスアルファになる。
私は昔からアーネスト・ヘミングウェイを好んで読んでいたが、なんで好きなのかは自分ではうまく説明できないでいた。しかしアガサ・クリスティーが海外旅行物を逃避的文学と言っているのを知ってよくわかった気がした。ヘミングウェイには海外旅行や海外での暮らしを描いた作品が多く、そんなヘミングウェイの作品に逃避的な要素を強く感じたのだろう。
私が好きな小説『移動祝祭日』『危険な夏』『海流のなかの島々』などもすべてヨーロッパや中南米が舞台になっている。その他アフリカを舞台にした作品もある。
アガサ・クリスティーはヘミングウェイより9歳年上だが、この二人に共通しているのは、海外渡航の経験が豊富なことだ。二人が描く逃避的な世界は今も魅力あるものとして君臨している。