清水寺から松原通を歩きながら平清盛ゆかりの六波羅(鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯)へ移動した。手書きの見取図によると平清盛は六波羅蜜寺のすぐ脇あたりに住居を構えていたことがわかる。また小松殿つまり平重盛(清盛の嫡男)もこの界隈に住んでいたようだ。そのあたりは六波羅蜜寺の拝観受付の男性の方が丁寧に教えてくれた。NHK大河ドラマ「平清盛」を今さら見て、埼玉から来たと言ったら「え?ダ埼玉からきたの?」と気さくに応じてくれて、小松殿のことや、厳島神社で清盛のイベントに参加してきたことなど、わざわざ受付から出てきて説明してくれた。清盛や重盛がこのあたりから鴨川を渡って御所に出仕していたかと思うと感慨深いものがありました。
六波羅から五条大橋へ。五条大橋と言えば、牛若丸(源義経)と弁慶の劇的な出会いの場ですが、よもや清盛も重盛も鞍馬山にいた牛若丸が一ノ谷の合戦や壇ノ浦の合戦で大活躍して平家滅亡の立役者になろうとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。
思うに、平清盛は”女に甘すぎる”。牛若丸(源義経)を生かしておいたのも、”絶世の美女”常盤御前(ときわごぜん 牛若の実母)に惚れていたからでしょう。源頼朝を生かしておいたのも、池禅尼(いけのぜんに 清盛の継母)に”ほだされた”からでしょう。でも、そういう清盛が好きなんだな。そこが魅力でしょ。平家の栄華を極めたのも、平家一門を滅ぼす一端を作ったのも清盛なんだな。清盛の魅力はこういうところにも表れているのではないでしょうか。ちなみに大河ドラマでは常盤御前に武井咲さん、池禅尼に和久井映見さんがキャスティングされています。そりゃしょうがないですよね、清盛殿!
清水寺に行く途中で”牛若丸と弁慶が五条大橋で会いまみえる”仕掛け時計"がかわいらしかった。
次回は、祇園、河原町に場所を移します。