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【訃報】渡部昇一先生、どうか日本を頼みます。渡部昇一先生は日本の守り神。

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アドセンス PCのみ記事上




敬愛なる渡部昇一先生が17日に逝去されました。18日私は朝刊を見ないまま出かけ夜帰宅したところ、家内から聞かされました。先日も書店で先生の新刊本(徳間書店)や雑誌Willの5月号の見出しにも先生の芳名を拝見したばかりでしたので、なんのことやら頭が真っ白になり、しばらくは茫然といたしました。

私は勝手に思い込んでおりました。先生が90歳、100歳と長生きされ、毎月のように新刊本をお出しになることを。そしてそれを楽しみに読んでいる自分を。いつか先生とお会いしてお話ができたり、自分が書いたものを読んでいただける機会があればと思っておりました。また、ひと目でいいので先生の書斎や書庫を拝見したいと考えておりました。無論私のような一介の凡夫にはなす術もございませんでした。今こうして書いておりましても涙が溢れてまいります。悲しくてどうしようもありません。

私が先生を知ったのは、中学生か高校生くらいの時です。80年代の半ばくらいでございました。80年代当時、私がいた地域の学校は日教組が跋扈しており、左翼思想を子供に平気で植え付けておりました。また18日の産経新聞の訃報記事にもあるように、当時マスメディアも左翼・リベラルの論調に満ちておりました。私は父や母や国を愛しておりましたので、国や先祖である同胞を貶められることに傷つき、自分に誇りを十分に持てず、心が折れそうになっておりました。そこに光をさしてくれたのが渡部昇一先生でした。左翼の論調をアカデミックに筆一本で木端微塵に打ち砕いてくれました。南京大虐殺が嘘っぱちだと知ったときは、心が晴れやかになりました。私は明るく元気になりました。子供の頃に自然に備わっていた誇りを取り戻したのです。先生はよく引用されていましたが「雨だれもついには石をうがつ」ことを見せてくれたのです。

もうひとり、私の誇りを支えてくれたのは母親でした。私の母は昭和7年生まれで、昭和5年生まれの先生とほぼ同時代を生きていました。「戦前、戦中に物心はついていて当時の状況も肌感覚で知っているけれども、アメリカに徹底的にやっつけられた意識はあまりない世代」つまり渡部先生と”似たような時代感覚”の持ち主だったのです。昭和二桁生まれになってくると、なんらかの形で戦後のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の影響を受けることになり、もう少し生まれが早くなっても、アメリカにボコボコにやられたという意識が人を卑屈にしてしまう。そのどちらでもない世代が昭和一桁生まれということになるのでしょう。例えば、母は私が中学校の社会科の授業で「”君が代”は天皇を崇拝する歌であるのでけしからん」と吹き込まれて帰ってくると「誰だい、そんな”デタラメ”を教えているのは」というような具合だった。また先生は当時歌われていた軍歌や唱歌のようなものもよくご存じでしたが、母も確か満州の歌とか日露戦争の廣瀬中佐の歌とか、先生が知っている歌と同じ歌を歌ってくれたこともありました。先生と母は戦前、戦中が暗黒の時代ではなかったことを知る生き証人だった。先生は”アカデミック”に、母は”情緒的”に私の誇りを守ってくれた。なおかつ先生はアカデミックなだけでなく、少年時代に読んだ庶民に人気の講談本や学校で学んだ修養書から得た教養を自然に身につけていて、少しも偉ぶったり、エリートぶったりすることもなかった。母もいわゆる学歴はなかったが、東京の下町育ちで、心ある市井の人々の中で気の置けない女性らしい教養を身につけていた。先生が「東京大空襲はジェノサイドだ」と言い切った時は、母は「わかってくれる人がいてうれしい」と涙を流しておりました。ですから私は知的な部分では先生を父親のように慕っておりました。それくらい先生の著作には馴染んでおりました。90年代には先生がホストを務められていた「新世紀歓談」という対談番組を毎週母と楽しみに見ていたことを懐かしく思います。「この番組は国益という観点から、歯に衣着せず色々な問題に切れ込もうとする趣旨のものです」という先生の挨拶から始まるこの番組を見た後は、いつも胸のすく思いがしました。

不思議なもので、こんな駄文でも書いていると少し落ち着いてきました。ちょうど一昨日の雨で、家の近くの桜の花びらがすべて散ってしまいました。同じタイミングで渡部昇一先生も逝かれてしまいました。なんて寂しいのでしょう。先生の新刊本が4月中にあと2冊発売されるようです。(間違っていたらごめんなさい)「人生の手引書 壁を乗り越える思考法」(扶桑社新書)と「渡部昇一の少年日本史」(致知出版社)が新刊の最後になるのかもしれません。しかし、桜にも新緑の芽が吹いてきています。先生の見せてくれた『日本の虹』を若い世代が受け継いで行くことを暗示しているかのようです。私にとって先生は父親のような存在でした。渡部先生、どうか日本を見守っていてください。

不思議なことがございました。以前、先生ご自身が影響を受けたと書かれていた本に「カトリックの信仰」岩下壮一がありましたが、ずっと手に入らずにおりました。昨日私は先生の訃報を知らずに神保町の古本屋におりました。棚差しされていた徳富蘇峰の近世日本国民史を手に取ろうとしたら、ちょうど目の高さのあたりにございました。

合掌

平成29年4月19日 新緑の候

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