これは今から15年前の2002年に放送されていたNHKの大河ドラマで、放送当時は見ていなかった。
今ドラマではちょうど羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いのシーンのところで、柴田勝家と織田信長の妹お市の方が自害するシーンが美しく描かれていた。
ドラマは加賀藩主となった前田利家の生涯が織田信長や豊臣秀吉との関係を通して活き活きと描かれていておもしろい。合わせて前田利家の正室まつと、利家の生涯の友であった豊臣秀吉の正室おねとの関係も描くことで、戦国大名の妻という視点を加え物語に色どりを与えている。
戦国時代はおよそ150年間続くが、織田信長が生まれたのが西暦1534年だから、そこから徳川家康が江戸幕府を開くまでの期間ということになると、70年程度になる。
私が感心するのはこの70年程の期間に綺羅星のような人物が次から次へと世に輩出されたことだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は言うに及ばず、前田利家、伊達政宗、真田昌幸など枚挙にいとまがない。今も『おんな城主 直虎』や昨年放送があった『真田丸』で戦国大名が描かれている。
そしてその大名の家臣の中にも優れた武将が多く存在する。
例えばこんな武将がいる。
大河ドラマ『利家とまつ』の中では本能寺の変が描かれている。ドラマの中では織田信長の遺体は見つからないということになっているが『名将言行録』によると信長の遺体は見つかっている。
明智光秀には明智光春という光秀にとって親類の家臣がいた。その明智光春が信長の首を隠すのだ。
その理由は、織田信長がかつて甲斐を征伐した際に武田勝頼の首に罵詈雑言したことで、世の人が信長ともあろう者が敵の首を斬って罵ったと悪口を言っていることを光春が知っていて、信長に怨恨のある光秀が信長の首に同じことをせぬよう配慮したためだという。
光春は信長の死体を西誉(せいよ)という僧に命じて葬らせ、自らは坂本城で城を囲む敵に城攻めの猶予を乞い、刀や釜などの名器が損なわれないよう敵に贈呈し、自害して果てたといいます。
この光春の振る舞いに秀吉も「流石(さすが)に希(まれ)なる侍や」と感心したといいます。
【渡部昇一著『名将言行録を読む』明智光春から要約】
利家とまつについてはこんなエピソードがある。
前田利家の死に際におよんで、利家がたくさんの戦さで人を殺めたので、地獄に行かないようにと、まつの思いやりから、利家に経帷子(きょうかたびら)を着るように勧めたというものだ。
利家は、人を殺めたのには道理があってしたことだから、経帷子はいらぬ、もし地獄にいっても、先に死んだ家臣たちを連れて閻魔とひと合戦してくれよう、その経帷子は後からお前が被ってまいれ、という主旨のことを言ったという。
これは確かある歴史の番組の中でアナウンサーの松平定知さんがナレーションをしていたと思う。
松平定知さんは松平家(徳川家)の子孫だと聞いたことがある。
もしそれが本当なら歴史の巡りあわせに不思議さを感じざるを得ません。まつは利家亡き後、前田家のために徳川の人質になるわけですから。
大河ドラマ『利家とまつ』では前田利家を唐沢寿明、まつを松嶋菜々子が主演しているほか、織田信長を反町隆史、豊臣秀吉を香川照之、佐々成政を山口祐一郎、おねを酒井法子が演じている。ちなみに明智光秀は萩原健一が演じていて豪華キャストになっている。
香川照之の秀吉は唐沢寿明演じる利家とコントラストが効いていて利家の良さを十分引き出しているように感じた。まつと生涯交友のあるおね役の酒井法子も重要な役割を演じている。元劇団四季でジーザスクライストスーパースターを演じたこともある山口祐一郎もタッパがあって存在感があり、芝居を引き締まったものにしている。
放送はこれから秀吉の天下統一に入るところだ。