11月3日「文化の日」は明治天皇の天長節(誕生日)です。
10月28日に大宮の氷川神社で『明治天皇行幸150周年』が行われ、そのことをブログにも書きました。
ブログには明治天皇の時代にできた「教育勅語」について書きましたが、今日は明治時代にできた憲法について書いてみたいと思います。
11月3日「文化の日」は明治節(明治天皇の誕生日)であると同時に今の日本国憲法(昭和憲法)が公布された日でもあります。
これはGHQの占領下に作られた憲法ですが、日本にはその前に独自の憲法がありました。
大日本帝国憲法(明治憲法)です。
昭和憲法は明治憲法を改定して成立したことになっていますが、昭和憲法と明治憲法には成立当時の国の主権について違いがあります。
まず、明治時代に成立した大日本帝国憲法について述べます。
1858年(安政5年)に幕府は欧米と通商条約を結び国交を持つようになっていましたが、その条約の中に日本に不利な二つの条約がありました。
関税自主権と治外法権(領事裁判権)です。
関税自主権は輸入品に税金をかける権利、治外法権は外国人を裁く権利です。
これはある意味で主権がないということです。
不平等条約はおそらく欧米諸国から見ると日本が近代国家とみなされていなかったことを意味します。
明治政府はこの不平等条約を改正するために、日本は近代的な法治国家であることを示そうと考えます。
そこで早急に憲法の制定をするのです。
憲法制定にはさまざまな試行錯誤があったようです。
日本には憲法がありませんから、欧米先進国の憲法を参考にしようと考えました。
伊藤博文はまずイギリスの憲法を参考にしようとします。
イギリスには安定した王室と議会制民主主義が確立していましたから参考になると思ったのです。
ところがイギリスは慣習法のために成文化された憲法がなかったために参考にはなりませんでした。
次にフランスを参考にしましたが、フランスは共和制(君主がいない国家)にために、これもダメでした。
次に伊藤博文が向かったのはオーストリアです。
当時のオーストリアには皇帝がいたからです。
伊藤博文はシュタインという憲法学者から立憲君主制(君主はいるが権力は憲法によって規制されている国家)というものを教えてもらいます。
その次はドイツに向かいます。
伊藤博文はドイツでビスマルクに面会してグナイストという憲法学者を紹介してもらいます。
伊藤博文はグナイストからドイツは三十か国ほどの小国を統一した連合国家なので参考にならないが、ドイツ帝国の中心になった国王がいるプロイセンを参考にしたらどうかと言われます。
伊藤博文はグナイストからプロイセン憲法の講義をうけ、それをプロイセン憲法を骨格に明治憲法を作り上げたといいます。(渡部昇一著『渡部昇一の少年日本史』〈致知出版社〉第五章 新しい日本創生と欧米列強の圧力【近代】【憲法制定】参照)
欧米との不平等条約を改定するために、伊藤博文が試行錯誤しながら憲法を作り上げたことがわかります。
また日本の国情に合わせた憲法を作るためには皇室、旧幕府の体制、明治維新後の日本などをよく知っている人物でなければ難しい仕事であることもわかります。
さて伊藤博文がたいへんな思いをして作り上げた明治憲法ですが、こうして日本になかった主権を確立していったのです。
一方で今の日本国憲法(昭和憲法)はどうでしょうか。
戦争終結後、GHQは日本を直接統治するつもりでした。紙幣は軍票(GHQの代用紙幣)にして公用語も英語にするつもりでした。
外務大臣の重光葵(しげみつまもる)がなんとか直接統治を食い止め間接統治にしたといいます。
日本はGHQの直接統治を免れましたがGHQが統治していることにか変わりがありません。
占領当時、日本には政府も皇室も存在していましたが、GHQの統治下で隷属させられることになります。
日本には全ての主権がないということになります。
GHQは占領下でどんどん日本の法律を変えていったといいます。それは日本にもうひとつの政府があったことを意味します。(渡部昇一著『渡部昇一の少年日本史』〈致知出版社〉第六章 日本の底力を見せた戦後の復興【現代】【日本国憲法】参照)
そういう状況で成立したのが今の日本国憲法(昭和憲法)です。
日本が主権を回復するのは1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効です。
日本国憲法(昭和憲法)が公布されたのは冒頭でも書きましたが1946年(昭和21年)の11月3日です。
昭和天皇の勅語のお言葉には「自由に表明された国民の総意によって確定した」憲法とあります。
これは昭和天皇のお言葉が絵空事なのではなくてGHQがしたことが絵空事ということになります。
なぜなら昭和天皇はGHQに隷属させらていたのですから。
また、憲法は主権(国権)の発動ですから、主権の発動でないものは無効ということにもなります。
そうすると明治憲法(大日本帝国憲法)と昭和憲法(日本国憲法)の成立過程の間に、主権に関して相反するものが存在することがわかります。
明治憲法は主権を確立するために成立し、昭和憲法は主権がない状態で成立したということになりそうです。
今度こそ主権の発動による憲法を作ってほしいですね。(笑)