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大宮アルディージャ観戦日記

「サッカーリテラシー」を上げて大宮のホームゲームを盛り上げよう その1「自分の好みを作る」好きな試合を繰り返し見よう

投稿日:2017年12月12日 更新日:

昨日イングランドプレミアリーグを見ていたら懐かしい方が解説をしていた。大宮アルディージャで2008シーズンに監督をしていた樋口靖洋さんだ。樋口靖洋さんは現在「Y.S.C.C横浜(横浜スポーツ&カルチャークラブ)」の監督をしているようだ。番組の中でもそう紹介されていた。

私が見た試合はプレミアリーグ第16節ニューカッスル対レスターシティだった。

樋口監督は戦術面、技術面、試合展開のほか、それぞれのポジションに合わせて選手ひとりひとりの細かい動きまで丁寧に解説されていた。監督は選手に戦術などを言葉で伝えなければならないから簡潔で分かりやすい表現力を身に着けていることを再認識させられる。

樋口監督の的確な解説はたいへん勉強になったと思っている。

 

さて、先日英国人サッカー記者のスティーブ・マッケンジーさんが抱いたNACK5スタジアム大宮での違和感についての記事を取り上げた。その違和感とはアウェイサポーターの声量にホームサポーターの声量が負けている、というものだった。そしてマッケンジーさんが抱いた違和感について、その原因が「サッカーリテラシー」に関係しているのではないかという意見を別のブログで私なりに述べさせてもらった

「サッカーリテラシー」とは「サッカーの理解力、表現力」とでも言ったらいいだろうか。サッカーの理解度が低いために表現力に乏しく、結果として応援に盛り上がりが欠けるものになってしまっているのではないか、という仮説を立てたわけだ。その正否は別にして、ではどうすれば「サッカーリテラシー」を上げることができるかという点について書いてみたいと思う。

冒頭で紹介した樋口靖洋監督のレベルでサッカーを理解し表現することは容易ではない。

樋口監督のように選手や指導者としての実戦経験を誰もが持っているわけではないし、学生にせよ社会人にせよ素人がそういった経験を持つことは難しいだろう。

そこで、私のような素人でも比較的簡単に実践しやすいことを紹介しようと思う。

 

【自分の好みを作る】

「サッカーリテラシー」を上げるために必要な要素を私なりにお伝えしたい。

それは「好みを作ること」だ。

私はこれが「サッカーリテラシー」を上げるための近道になると考えている。

分かりやすく言うと「好きなサッカーチーム、好きなサッカー選手を作ること」だ。

もしかしたらこれが最も重要な要素かもしれない。

それはどんなチーム、どんな選手でも構わないが、できれば大宮アルディージャ以外のハイレベルのチームや選手がいい。

例えば今度クラブワールドカップで試合を行うレアル・マドリードでもいいしクリスティアーノ・ロナウドでも構わない。

大宮のサポーターには当てはまらないが、たまにサッカーは日本代表の試合は見るがJリーグの試合は見ないという人がいるが(笑)、それも立派な好みなのでそれでもいいと思っている。

どんなチーム、選手であれ「好みを作る」とそれがその人にとって「ひとつの基準」になっていくことになる。その好みのレベルが高ければ高いほど「基準」も高くなっていくことになる。

高校サッカーではダメなのか?そんなことは決してない。

高校サッカーを見に行くとよく子供連れの親子を見かける。少年サッカーをやっている子たちかもしれないし、将来高校サッカーの選手権を夢見ているのかもしれないが、子供たちにとって、好きになれば、そのチームや選手が「ひとつの基準」になっていくことに変わりはないからだ。

「好みを作る」ことが大事なことであることを覚えておいてもらいたい。

 

【リテラシー(読解記述力)を上げるには多読より精読がいい】

「リテラシー」という言葉には「読解記述力」「読み書き能力」という意味がある。

「記述力」「書く力」を身につける前にやらなければならないことは「読解力」「読む力」を身に着けることではないだろうか。まず「読む力」がなければ「書く力」は身につかないだろう。

私は自分のカミさんにこんな質問をしたことがある。

私「サッカーの理解力をあげるのにどうしたらいいと思う?」

カミさん「たくさん試合を見ること」

私「それもいいかもしれないね」

これを文章の「読解力」というものに当てはめてみると「読む力」を身につけるためには「たくさんの本を読む」ということになりそうだ。確かに「読む力」を身につけるために「たくさんの本を読む」つまり「多読する」ことは必要かもしれない。

しかし私はそれは初心者や素人には向かないと考えている。

「多読」しても効果は得られるかもしれないが、まだ「好み」が定まっていない「初心者」や「素人」がそれをやると「読解力」を身につけるのに時間がかかってしまうと思うのだ。たくさんの本を読んで時間をかけた割には、思ったような効果は得られないばかりか、好きでもない本をたくさん読まされて、本が嫌いになってしまうこともあるかもいれない。

「多読」するのは「読解力」かついてからのほうが良くないだろうか。

そこでお勧めしたいのが「精読」だ。

「精読」をする簡単な方法がある。それは「好きな本を見つける」ということだ。嫌いな本を精読しろといわれてもなかなか気が進まない。しかし「好きな本」なら人に勧められなくても自分から読むものではないだろうか。

だから「好みを作る」ことは大事なことになる。

「好きな本」を何度も何度も精読するのだ。「好きな本」なら読めるだろう。もう読んだ本なのに何度か読み返しているような好きな本はないだろうか。何度読んでも飽きないという経験をした人もいるだろう。

一度読んだ本を繰り返し読むということはどんなことが起こるだろう。

例えばそれが小説だとしたら筋書きは分かっているはずだ。二度目には一度目に気づかなかったこともあるかもしれないし、気に入ったフレーズや会話の妙を楽しむこともできるかもしれない。一度目に読めなかった漢字も読むことができるだろう。

つまり「ディテール(細かい部分)」にまで目が及ぶようになるのだ。

再読が二度、三度と重なるうちに嗜好のセンスもどんどん磨かれていくことになる。

これをサッカーの話しに戻すとまず好きなサッカーチームや選手を作るといい。

好きになると自然にそのサッカーチームや選手の試合を見るようになる。するとその中でも特に好きになる試合や選手の動きが出てくるだろう。いわゆるベストバウト(最高の試合)、ベストパフォーマンスと思えるものが出てくる。

自分の中のベストバウト(最高の試合)、ベストパフォーマンスが決まったら何度かそれを見るようにしたらいい。

自分の好きなものは頭の中に残りやすく嗜好として定着するメリットがある。

それが好きなものを繰り返し見ることを勧める理由となる。

 

【ユベントスの試合で身につけた戦術眼と基準】

少し長くなるが私の例を紹介したい。

ユベントスというイタリアのクラブチームをご存じだろうか。

今ちょうど東アジア選手権が日本で開催されているが中国のマルチェロ・リッピ監督がユベントスの監督をしていた時代にトヨタカップでユベントスの試合を見に行ったことがある。

トヨタカップは、これもちょうど今開催されているクラブワールドカップの前身の大会で当時はインターコンチネンタルカップとして欧州と南米のクラブチャンピオン同士が争う選手権のことだった。

私が見たのは1996年のトヨタカップでイタリアのユベントスとアルゼンチンのリバープレートとの試合だった。ユベントスは今でも欧州チャンピオンズリーグ上位の常連クラブだがこの時代は最強を誇っていた。当時のスタープレイヤーはイタリア代表のデルピエロで、そのシーズンから加入したばかりのジネディーヌ・ジダンも出場していた。

リバープレートはアルゼンチンの名門クラブで当時はアルゼンチン代表のオルテガやウルグアイの英雄エンツォ・フランチェスコリを擁していた。

トヨタカップは欧州と南米で優勝したトップクラブ同士の対戦だったから、日本の国内で見られる試合や選手の中で最高レベルのものだった。

そこで私は衝撃的なサッカーを見ることになる。

ゾーンプレスだ。

日本でゾーンプレスという概念を広めたのは日本代表監督の加茂周監督だ。イタリアで考案されたゾーンプレスという戦術を日本代表に取り入れその概念が国内でも知られるようになった。

ワールドカップでもイタリア代表のゾーンプレスを見ることができたし、イタリアのサッカーリーグ、セリエAでもゾーンプレスのサッカーを見ることはできた。しかし私が生で見てきたのは当時の日本代表の未完成のゾーンプレスでありテレビ中継でのイタリアのゾーンプレスだった。

ゾーンプレスの醍醐味はその全体感にある。テレビでは画角の都合で選手のピッチ上での配置を全体的にとらえることはできない。

しかし国立競技場で生で見るゾーンプレスはありありとその全容を私に見せてくれた。

両チームの最終ライン同士の幅はわずか30メートルくらいしかない。

そのわずか30メートルの幅のスペースに両チームのフィールドプレイヤー20名が蠢いている。

リバープレートの選手がボールを持つやいなやユベントスの最終ラインは信じられないくらいの高さまで押し上げられる。さらにユベントスの選手が2人3人と容赦なくボールを奪取してくる。

ほんの数秒もボールを持つことができないのだ。

圧巻だったのはリバープレートのサイドバックがユベントスの選手にプレスを掛けられ、逆サイドにいたフリーのサイドバックにボールを振ろうとした瞬間に、逆サイドにいたユベントスの選手がリバープレートのフリーのサイドバックの選手に猛烈にプレスを掛けたシーンだった。

これではリバープレートの選手はどこにもボールが出せない。

当時のユベントスはイタリア代表と対戦しても勝てるのではないかといわれたほどのチームだった。

私はその精巧無比なゾーンプレスに圧倒されてしまった。

もちろんリバープレートの選手も圧巻だった。特にオルテガとフランチェスコリはユベントスの鬼のようなプレスの中で平然とボールをキープするシーンもあった。容易にバックパスすることもなくリバープレートもユベントスのゾーンプレスに耐えられる威厳のあるクラブチームだった。

ユベントスのゾーンプレスは強烈な印象として私の脳裏に残った。

そしてここからがポイントだが、私はその強烈な印象をそのまま自宅に持ち帰った。

そして録画したビデオで感動を呼び覚ますように繰り返しその試合を鑑賞したのだ。それはサッカーを勉強したいという思いからというよりは、面白くて、好きで見ている感覚だ。

しかしそうして繰り返し見ることによってゾーンプレスが私の脳裏にインプリント(刷り込み)されていくことになった。

私の頭の中にしっかりとサッカーの戦術としてゾーンプレスという引き出しがひとつできた瞬間だった。

ゾーンプレスという引き出しができるとともに、ユベントスの一流のゾーンプレスが私の中の基準になった。

この基準ができあがるとゾーンプレスを採用していないチームやゾーンプレスを採用していてもその完成度の有無などが手に取るようにわかるようになってくるのだ。

大宮アルディージャを引き合いに出して恐縮だが、大宮アルディージャはおそらく「ゾーンプレス」を採用したことはない。大宮アルディージャが採用しているのは普通の「ゾーンディフェンス」だ。

試合中にゾーンプレスが掛かることもあるがそれはあくまでも試合の進行の中で部分的に起こった出来事であって、当時のユベントスのように二者択一のチーム戦術としてゾーンプレスが行われていないことが分かる。

こういうことが手に取るようにわかるようになる。

すると試合観戦での表現力まで変化してくる。

試合での表現力につては後のテーマにしようと思っているが、一例をあげると、大宮アルディージャの試合の中でゾーンプレスでボールを奪取するシーンがあったりすると、私の表現は「ナイスプレイ」という称賛にとどまらず、その高度な戦術を駆使したプレイに対する拍手喝采が加わることになる、というわけだ。

このように自分が面白い(好き)と思った試合を興味を持って繰り返し見るだけで、いつのまにか自分の中の基準が出来上がることが分かってもらえただろうか。

またユベントスの試合に焦点を合わせることでゾーンプレスという戦術眼を得たことにも繋がった。

そしてそこで得た基準が他との違いを浮き彫りにさせてくれることが大事な要素になってくるのだ。

 

【好きな選手を作る】

このトヨタカップでのユベントス戦にはおまけもついてきた。

トヨタカップにはそのシーズンにユベントスのルーキーだったジネディーヌ・ジダンが出場していることを先ほど書いたが、私は後々ジダンが大好きなプレイヤーになっていく。

ジダンはプラティニの後継者として嘱望された若きプレイヤーだったが、当時私にはジダンと同じフランス人のエリック・カントナというヒーローがいた。マンチェスター・ユナイテッドのヒーローでもあったカントナが好きだった。

当時の私から見るとその時のジダンはまだ若造だった(笑)わけだが、ユベントスで頭角を現したジダンはその後フランス代表でも活躍し、ワールドカップやユーロ選手権を制したほか、レアル・マドリードに移籍して私を魅了し続けることになる。

それは私の中のファンタジスタという基準を形成するのに大いに役立つことになった。

一時期日本でもその言葉だけが独り歩きしてJリーガ―や日本代表選手にもファンタジスタという愛称がつけられた選手がいたが、私は噴飯ものとしてそれを眺めていた。(笑)

しかしそれは私の中の基準が他と違うことを示しているに過ぎない。

要は嗜好(テースト)の違い、好みの違いなのだ。

誰を好きになるかによって、基準が変わってくるということだ。

ちなみに私はプラティニやジーコの世代だが、私の中でファンタジスタと思えるプレイヤーはイタリアのロベルト・バッジョとフランスのジネディーヌ・ジダンだけだ。日本で唯一ファンタジーを感じたのは小野伸二だけだった。

もちろんこれは前にも言ったように嗜好の問題だし、世代によっても変わってくるだろう。

ただ、私の嗜好から、その基準にそぐわない選手がファンタジスタと呼ばれていたりすると試合中には次のような形でその表現が変換されることになる。

「おいファンタジスタ、お前のプレイにファンタジーは感じないぞ!」

野次もサッカーの楽しみではないだろうか。(笑)

サポーター同士でもこの嗜好(好み)の感覚が合ったりすると盛り上がることになる。

これも嗜好のなせる業だ。

誤解なきように言っておきたいのは、少年が高校サッカーの選手にファンタジーを感じているなら、それは間違いなくその少年にとってファンタジスタだ。それをバカにする気は毛頭ない。

ただ少年の心の跳躍力は凄まじいものがある。

少年の心がクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシに到達するのに時間はかからないだろう。

 

次回はそのロナウドやメッシがいる海外のクラブチームに焦点をあてて見ていきましょう。

 

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